地獄の蓋と天国の窓

◎天国の窓

 

以前、地獄の蓋が開いた、ということを書いたことがあります。

 

数日前のことですが、それと対をなすような感じで、「天国の窓も開いてるよ」という感じがありました。

 

(余談ですが、いまPCで打ち込んでいると「天獄」と変換されたのですが、ある意味この字のほうが印象としてはあっているかもしれません。)

 

言葉からすれば、地獄から亡者があふれだしてきた光景をイメージするのに対し、天使が救いに降りてくる、という印象をいだくかもしれませんが、私の印象はどうも違います。

 

・良心と悪心の内面の揺さぶりが大きくつよくなる感じ

 

・天地まぜこぜとなっていき、これからさらに混とんが増す

 

・歪みの強いほうに引き込む力がこれまで強かったものに対し、良心の働きが強まる

 

・区切りを迎える人たちがいる

 

・浮ついた考えや行いで足元をすくわれる人が増える

 

感じた印象などならべると、とりあえずこんな感じです。

 

 

 

 

なにかに救いを求めても、差し伸べられた手がどこから伸びているものなのかわからないのが、この世で人として生きているいまの私たちです。

 

救いの手なのか、地獄からのスカウトなのか。

 

(スカウトというのは、引きずり込むのとは少し違います。扱いやすいという点で見込みがあるので手先として使えるように懐柔して、さらに多くの人に手を伸ばす道具にされていきます。前回までの話で書きたりいていないのは、そのスカウトがこれから積極的に増えていきそうだから気をつけましょうね、ということです。)

 

伸ばされた手に依存心ですがれば、というか、そういう生き方を続けていれば、たいてい狙っている存在たちに付け込まれることが多いでしょう。

 

天国の窓が開いている、というのは、「引きずり込まれることばかりではなく報われる人もでてくるよ」と、とらえることもできそうですが、そんなにあまい話はない、という厳しい含みがどうしてもついて回ります。

 

厳しさの意味は、「報われない」のではなく「やることやらないで報われる」と自己都合で自動解釈して特別視に気づいていない人が多いため、注意が必要ということも伴っているからです。

 

思い込みで自動解釈しているので、考える、ということがそこには行われていません。

 

条件反射のように反応しているので、気づくことなく繰り返してしまいます。

 

そこに気づいて考えることができるようになると、自分のそれまでの運命のパターンから外れて抜け出す可能性がでてきます。

 

よりよく、という方向性をだして抜け出そうとすれば、よりよい選択肢を選ぼうとできますが、目的を持たないでやろうとすると、差し替えただけで同じところくり返してしまいます。

 

 

 

甘く考えそうなタイトルなので、補足です。

 

上位の意識体が下位の意識体に積極的にかかわっていいかどうかさえ私たちは知りません。

 

大本教の本を読んでみると、むしろ禁じられているかのようです。

 

ですから、天国の窓が開いたからといって、それが自分の都合よく助けてに来てもらえる保障はどこにもありません。

 

ただの空気の入れ替えかもしれませんが、わざわざよどんだ空気を入れるようなことはしないでしょうから、そこにはなにか意図があります。

 

いうことも聞かず間違ったことを平気でして、知ったかぶったり、やたらに卑下したり、理屈もまともに通じない支離滅裂なことばかり言ったりやったりしている人間に対し、禁じられていることを破ってまで助けに行こうとするでしょうか。

 

「ありがたいできた存在であればこそ、それはやってくれるに違いない」と勝手におもう人もいるかもしれませんが、より上位の存在たちは、宇宙のゆがみを減らそうとしても、自分から増やすようなことはまずしないでしょう。

 

そこであえてやろうとするなら、それはその助けたい人間に歪みが減る方向でやる気があるかどうかをまず見ると思います。

 

そして、やる気があって行動に移しているかどうかも見るでしょう。

 

その他にもなにかあるかもしれませんが、やることやらないで「たすけてくれー」と言っているだけ、雰囲気だけ悲壮感を漂わせてその実、楽をしようとしているだけでは、とても歪みがとれる可能性を感じて助けたいとは思わないでしょう。

 

もし私が感じている通りに天国の窓が開いており、そこに意図があるとすれば、やる気のある人を手伝うことくらいでしょうか。

 

その準備期間が2月頃から今月頭までだったようです。

 

実地で試験的にやっているような印象なので、今後どうなるかはわかりませんが、都合よくゆがめて解釈してもいいことはないので、自分のためになるように解釈することを心掛けていただくといいと思います。

 

ついでに書くと、やる気がある人をなぜ助けるかといえば、人より負荷が増えるからです。

 

生きやすくもなるでしょうが、それはある一面ですね。

 

 

 

一定量の負荷が徐々に増していき今後減ることはない、ということを以前書きました。

 

コロナウイルスやその変異による影響の蓄積、またワクチンについての見解は人それぞれですが、それらのことはもちろんそこには含まれます。

 

また、福島原発の処理水の海への放流も、実態や言い分に他国のやっていることと比較して内容がどうであれ、やり直しや元に戻すことができない事柄である以上、負荷となっていく可能性が十分にあります。

 

さっそく水産業が輸出で制裁を受けていますが、国として時間の経過のなかでなんとかしていくつもりなのでしょう。

 

ただ、感覚的な話として気になっているものがあります。

 

それはこれからどれくらいの間なのかまだはっきりしませんが、8月のお盆明けたあたりから生じるトラブルは、根深く尾を引きやすい、という感じがあります。

 

とくにこの2~3週間に起きることは、後々まで影響が残りやすいため注意が必要な感じがしていました。

 

そんなタイミングでの処理水の話だったので、今後じっくり根深い影響を及ぼすような気がします。

 

このことを感じるに至った経緯は、仕事をしていた時の出来事です。

 

 

内容はここでは端折りますが、そこである存在たちの注意喚起によって気づかされました。

 

この期間以降、身の回りで体調を崩すような人が増えてくる気もしますが、長引いたり深刻な状態に陥ることも多くなるような気がします。

 

みんなが一様にそうなる、ということではありません。

 

ただ、そういうことが今までよりもさらに増えるような気がしていますよ、ということです。

 

トラブルなども気を付けていただき、確認を怠らないようにしていただくこともそうですが、周りに振り回されて自分を見失わないことを何よりも気を付けてほしいと思います。

 

日頃の行いが自らをすくいます。

 

なにごともなく平穏に過ごせればそれに越したことはありません。

 

自分が想定する最良の展開の中で過ごせる人もいるかもしれません。

 

ただ、そうでない展開もときにあります。

 

どうなるかはそれぞれの身に起きることで考えればいいと思います。

 

 

 

最近にしては珍しく注意喚起されたので書きましたが、実際どうなるかはわかりません。

 

地獄の蓋が開こうが天国の窓が開こうが、ご自身で納得のいく取り組みを自分で考えてやっていくことです。