最近感じるキーワード

◎「じわじわと」

 

中国の大手不動産会社の恒大集団がアメリカで破産申請した、というニュースが流れています。

 

なにかがきっかけで大きく世界の経済が動くのではないか、ということを考えている方も多いと思います。

 

ここ数年コロナの影響があって厳しい状況が続いているところも少なくないでしょうし、それ以前から問題を抱えているところもあるでしょう。

 

おおきなインパクトはそれなりに影響があるとおもいますが、コロナ以後、経済のみならず、人々の意識も含めて、骨粗しょう症のような状態に陥ってきている感じがします。

 

つまり、目立つ大きな企業や国の取り組みはしっかりしているように見えても、それを細部で支える末端や細かい働き、つまり中小零細企業や個々の人々が、以前ほどタフではなくなっていることで、耐性がこれまでよりもはるかに劣化しているのではないか、ということです。

 

見た目はしっかりしているように見えても、中身がスカスカであれば負荷をかけたときにどうなるか。

 

これくらいならまだ大丈夫だろう、とたかをくくっていると、いつのまにかおかしくなっていることもあるかもしれません。

 

いろんなことが常にあちこちで起きていますが、それぞれに目の前の問題として対処する人たちもいます。

 

それによって知らないところで、私たちも難を逃れていることがあるでしょう。

 

しかし、どこかでそれらでは対処しきれず耐えきれなくなっていたり、見えないところで根深いひずみが生じていたりして、思っていた以上に弱っていたところがそろそろ露呈することもあるのではないか、という感じがしています。

 

先延ばしはしたけれど、解決はできていないことが問題として浮上する感じです。

 

延命措置がこれまでも各所で行われて蘇生できたところもあるかもしれませんが、先延ばしできたように見える中で、骨粗しょう症のイメージが今日不意に浮かび、上記のようなことを考えていました。

 

先日のブログでも書きましたが、「じわじわと」ということがキーワードとして気になっています。

 

そういうことが問題となるとき、「思っていた以上にひどかった」「想定外のできごとだ」「こんなことになるとは思いもしなかった」ということになります。

 

先入観をもって物事を見ると、見誤ることがあります。

 

過去の事例で想定することもできますが、これまで起きたことがないことであれば、多少緩和できることもあるかもしれませんが、想定もなにもあったものではありません。

 

なるべく全体をみながら判断できれば、より適切な判断がしやすくなります。

 

エゴでそれを行うことはできないでしょうが、わからないことをわからないと認めたうえで、そういうことも全体のなかにあると踏まえながら物事を考えるようになれれば、それだけでも物の見え方はもちろん、考え方や話す言葉に行動まで変わります。

 

いまの自分の立ち位置を知り、そこでいまなにができるのか考え、できることの中で自分の目的に合った優先順位の高いものを意識して取り組めるようになると、結果も伴いやすくなります。

 

できないことをやっても、結果が伴うことはありません。

 

日頃の地道な取り組みが、自分をよく知ることにつながりますし、そこでできるようになったことが、いざというときにできることです。

 

あくまで一つの可能性として仮の話として書いておくと、私たちほぼ全員、一度文字通り地獄に落ちる可能性があると思っています。

 

そして、そこから抜け出す方法を書いています。

 

その取り組みは天国に行っても通じるものですが、地獄から抜け出すとしても、やることは変わりません。

 

自分がどうしたいのか、そのために使えるものを使う。

 

自分がやった分だけ自分に返ってくるので、地獄がどういうところで天国がどういうところか考え、自分の立ち位置はどこか知り、そこから抜け出すにはどうすればいいか、という風にも考えられます。

 

否定を減らして肯定でものを考えられるようにすればいいよ、ということを実際の場面でどこまで具体的に考えられるでしょうか。

 

自分に都合よく考えたければそれでもいいでしょうし、見なければいいと思えばそれをやってみるのもいいでしょう。

 

いろんなやり方があるので好きにやればいいのですが、理屈に合ったやり方をしなければ理屈通りの結果にはなりません。

 

これまでいろんなことを書いてきました。

 

いらした方には話もしました。

 

私も経験を重ねながら理解に努めることを続けています。

 

一回聞いて理解できるほど、私たちは物を考えていませんし、わかってもいません。

 

なんども聞いたり読んだりを繰り返しながら、実生活の中で実際に体験しながら理解を深めることを何度も何度も何度も何度も繰り返して、その身にしみこませていきます。

 

それでいざというとき、とっさの場面で、自分のためになる最適解を一発でひらめくことができるかといえば、やってみないとわかりません。

 

ただ、できないと思っていたらできませんが、できると思って取り組めれば、やり方がまちがっていなければできるでしょう。

 

その自信の有無は、日々の取り組みです。

 

悪意を持ってそれを行われれば、私たちが望まない方向に引っ張られることもあり、強い気持ちでよりよくを目的に取り組み続ければ、望む方向に進みやすくなります。

 

時になにかに振り回されることもあるでしょうが、自分で地道に積み重ねることは思いの強さにもなります。

 

安易に振り回されることも減るでしょうし、自分を見失いかけても立て直しがしやすくなります。

 

ひろかねさんから教えていただいたことは、自分を高めたり幸せになるばかりでなく、その身を守ったり、抜け出るためにも役立つものの考え方です。

 

ただ、その人にやる気がなければ聞き入れられることはないでしょうし、行動に移されることもありません。

 

私たちほぼ全員、良くも悪くも自分の運命は自分で決めていけます。

 

なにかあってからやる気をだすよりは、すこしずつの積み重ねを日ごろからできるといいと思います。

 

 

 

 

 

 

◎余談

 

あらたな台風がまた南の海上で発生しそうですね。

 

今年は台風がまだまだ日本に影響を及ぼしそうです。