冬の訪れ
春の訪れを感じている今日この頃ですが、タイトルは冬の訪れです。
これは以前も書いたことですが、厳しい時期に入りましたよ、という話です。
通常の季節とは異なる例えなので、2~3か月のことではなく、数年単位です。
いまのところはおよそ3~5年という感じで受け取っています。
昨日いらした方とお話をしていて思ったのですが、世の中の変革ということについて、私とは見方が異なる方が多いのではないでしょうか。
トランプさんについてもプーチンさんについても、変革の立役者として美化してみている方がかなり多そうです。
皆さんが彼らを通して行われる全体の変革と思っているものは、私の中では巨大な組織内での変革であり、今後その組織が半永久的に継続する土台をいま作り変えているだけ、という考え方で私はみています。
弱肉強食のこの世界で「力があるものの都合で好き勝手やっていい」というこれまでの大枠は、いまのままではなにも変わらないのです。
組織内のひずみの解消として行われることはあるので、多少ましに思えることも起きていきますが、それは組織を破壊するためのものではなく、より強固にするためのものです。
アメリカの銀行の破綻騒ぎがありましたが、それもその一環でしょう。
よくわからないものに自分を預けても、その先どうなるかわからないのですから、自分で自分をなんとかすることを考えて行動に移していくことです。
特別視で足元をすくわれることもあります。
自分を否定して蓋をしていることに気づかないと、エゴの暴走に振り回されることもあります。
都合のいいことだけ考えていても、現実は都合の悪いこともあるのですから、思うようにはいきません。
進化分岐遺伝子の話を以前書きましたが、それぞれの方向性に基づいて加速しはじめています。
現状維持を望む方たちがとった行動の結果は、いまのところ懸念されていたほどのことにはなっていません。
昨日話の中ででてきたその方たちの行末は、死んだのちのお話でした。
すべてではありませんが、弱肉であり続けることさえも許されない運命を、昨日は知りました。
運命の創造主として私たちはこの地上で生活しています。
私たちは行動を経て思うような結果に近づけることができるのですから、その力を発揮できるよう日々過ごしていただければと思います。