◎三角印のあのマーク
先日施術をしていた時のことです。
その方の背中に手を当てて内観していると、いきなりフリーメイソンの話題で出てくるあの三角形のマークが現れました。
なぜ突然これが?と思っていたのですが、最近その方が仕事でかかわっているある事柄(※DG※)がきっかけだったようでした。
とりあえず、あまりいい感じがしないのであれこれやっていると、その三角形の全貌とまではいかないまでも、より広い視野で見渡す感じで見えてきたものがあります。
まず一つは、その三角形が下にどこまでもひろがっていく裾野のようになっていた光景。
もう一つが、その三角形の上にも、反転するように上に裾野が広がっていました。
その二つの大きな三角形が、ちょうど対を成すようにしてなにかの全体を構成しているかのようです。
上の大きな三角形は、どこか影がかかっているようではっきりせず、とりあえず中核をなしているようなあのシンボル?らしきものをなんとかして施術を終えました。
その時は??という感じだったのですが、その事をいらした方に話していると、いつものように順に言葉がおりてきました。
話した内容を一部修正したり、新たに書き足しているものもありますが、覚えていなくて書き漏らしたものも少しありそうです。
・下に広がる裾野はこの世のあれこれ
・上に広がる裾野は霊的世界のあれこれ
・最初に現れた三角形は霊的世界への道筋をふさぐストッパーの象徴
・この世の頂点(限界)でもある
・そこに描かれる目は誰の目か
・それは、意識の進化の道筋をふさぐ三角形に目を奪われたその人自身の片目
・「奪われた」というのは、興味をもってそれから目が離せなくなった状態
・ある意味自ら捧げている
・そこに囚われてしまったその人自身を表している
・この世的な頂点から下を見下す特別視がそこには現れてもいる
・だれがその三角形を設置したかといえば、集合意識としてエゴ自身が持つ歪みによるもの
・だから、気づいた人自身の選択によって超えてもいける
・見えない世界を信じていない、という場合もあるし、圧倒的に偏ったこの世への比重の大きさや見えない世界に対する強い否定的な要素があることで、そこから先の霊的進化の道筋をふさいで阻害している
・この世での栄華のみがすべての終着点であると思い込み、そこにとらわれてしまっている
・こちら(シンボルの方)は上にも同じものがあり、両方みることで本来の有り様が見えてくる
・執着にならない観方ができることが大事
・下のシンボルと上のシンボルを組み合わさることで、バランスの取れた理想的な個としての在り方がそこに姿を現す
・六芒星の一つの意味でもある
・特別視ではない、個の視点からそれぞれの全体を見渡せることが一つのステップとなる
・その視界に全体を収められることが全肯定へのヒントでもある
・肯定しないと全体を見渡すことはできない
・二元性を超えるとは、片方だけしか見続けられないことをやめ、全体を見られるようにすること
・あまねく浸透しているこの塞ぎを各々が越えていくために、五井先生のお祈りは伝えられた
・お祈りの意味がわかれば、さらに効果的な方法で意識の進化を目指していける
・そのやり方を選んだからといっても、お祈りをおろそかにはしていない
・時代の変調はこれから激しくなる
・その中で何を踏まえてどこを目指すのか、改めてここを見ている者たちに問いたい
・その答えが内にあるものは、自らの行動でその道筋を歩んでいくといいだろう
◎余談
なぜあのような光景が見えたかといえば、ここに書かせて皆に知らせるため、ということでした。
お祈りについて久しぶりに触れましたが、その意味はすでに過去書いています。
上位意識とつながることをどのように行うか、その事を忘れていたりわかっていない方は、改めて考えるなり過去のブログを見ていただくなり、いらした時にお尋ねになるでも構いませんので、そのまま放置しない方がいいと思います。
これから大変になる、ということを、昨日いらした方にもメッセージとしてお伝えしました。
これからの世の中全体がかなり厳しい感じになっていく、そんな印象を感じながら言葉を伝えました。
年内の早い段階(夏前頃でしょうか)で、悪い方向へ急変する可能性を最近感じることもありますが、それはまだ揺れ動く可能性としてです。
地震については磁気嵐などもあるので、起きやすい時期だと思います。
八日くらいまで注意、といわれています。
イベルメクチンについては、大きな組織や国が効果を否定するからこそ効くに違いない、という感じでつよく都合よく信じ込んでいる方がいるようです。
ごく一部の方についてのお話です。
何をどう信じようとかまいませんが、基本的にどういう仕組みでコロナやワクチンの副反応に効いているのか考えてみてください。
はっきりわかっていて大丈夫、といえるのであればいいでしょう。
しかし、薬である以上、それが強ければ強いほど副作用が起きることもあるかもしれません。
直後にでなくても、時間をかけてあとから問題が明らかになることもあります。
抗生物質の弊害を気にする方がいるなかで、そんな安易に比較できるものではないでしょうが、なぜここまで絶対的な信頼ができるのか、と不思議に思えることがあります。
薬に対して、信頼というよりも、執着がつよくなってしまっていないでしょうか。
予防にしても治療にしても、選択肢が薬以外に無いかのような、圧倒的な状況になってはいないでしょうか。
それってどうなの?と、思いませんか。
実際にそれで助かる人もいるでしょうし、好き好んで使用したい方の気分を害したいわけではありません。
いらした方には伝えてきましたが、ここを読んでいるだけの人は自分で考えるでしょうし、あまりはっきり書くことは控えた方がいい気がして、これまであまり書いてきませんでした。
しかし、時間が無くなってきたからなのか、今日は書いていいよという感じでしたので、余談として書くことにしました。
考えなしにやったことの結果は、やはりそれ相応の内容になります。
今後の展開に感じる負荷の一つとして、イベルメクチンも含まれている気がするので、使用についてはくれぐれも慎重に、と最後に書いておきます。