動き出している厄災のエネルギー

◎転嫁されつつある状況

 

昨年の9月か10月頃、厄災の巨大なエネルギーを感じていました。

 

その後、そのエネルギーはある国にしばらく滞留していましたが、あちらにとってはうまい具合に転嫁されつつあるようです。

 

まだ揺れ動いている感じがするので、どうなっていくのだろうか、という感じもしています。

 

厄災のエネルギーが転嫁されつつある先は一部の国を除いた世界各国であり、それがいま大変な状況に陥ろうとしています。

 

かの国には、まだそれだけの余力があったことに驚きでしたが、ぎりぎりのところでうまく処理しようとしているように感じます。

 

しかし、ともすると、これを機に今後大躍進する可能性がでてきます。

 

(この厄災のエネルギーについて限らないのかもしれませんが、なぜかあの国の国名を書くことをいまは止められているので、しばらくはこんな感じで書いていきます。)

 

 

 

 

◎自滅に突き進む国々

今回のウクライナのことをきっかけに、大厄災を世界各地に割り振った感じがしています。

 

ただ、これまでため込んでいたものもありますし、厄災を被るのは弱い立場の人たちです。

 

本来、ロシアとウクライナの関係自体は、そこで解決していけばいい話でした。

 

しかし、それに対してあれこれ首を突っ込んでかき回し始めたことで、自分で自分の首をしめているのが、日本を含む諸外国です。

 

ウクライナがどういう国であり、いまのトップがなぜそういう国でその地位に立てるのか、そしてそういう気質をもった人たちが統治するなかでどういう行動をするのか、など、すこし調べたり考えればわかりそうなこと一つ一つが、悉く利用されて思い違いを繰り返し、自らの首を絞めるように突き進んでいます。

 

被害にあっている民衆に対してはまたちがった見方をできますし、ロシアの肩を持つつもりもありません。

 

ただ、私たちはコロナの騒動と同じことをここでも繰り返しており、煽られて暴走し始めた結果、コロナの騒動で社会生活や経済活動を自他ともにほぼ一丸となって抑制してきたことの結果を、自ら早め始めています。

 

 

 

 

◎因果応報

やったことが返ってきます。

 

経済活動を制限して抑制すれば、抑制したなりの結果が返ってきます。

 

ただ、通常はカルマがいつどこで返ってくるかはわかりません。

 

しかし、因果応報が早くなっていった結果、自覚しやすい間隔でのリターンを私たちは受け止めることになりそうです。

 

 

 

 

厄災の転嫁はまだ完全に終わっていないため、どこかで回避できるかもしれませんが、回避できるだけの能力があれば、おそらくいまのような状況に陥っていないでしょう。

 

10月頃に厄災のエネルギーがどうなっていくのか確認した時には、まだ決まっていない、ということでした。

 

それはいまも続いているようで、これから私たちは展開の目まぐるしい変化にこれまで以上に翻弄されていく感じがしています。

 

私たちの普段の生活からはほとんど見えない世界で権力争いが激化している、ということのようです。

 

これからさらに激しい嵐がくる中で、指をくわえてただ待つのか、少しでもできることをして備えるのか、直前まで気づくことなくせせら笑いながら阿鼻叫喚とともに嵐に呑まれていくのか、人それぞれです。

 

これに※害まで加わってくる可能性もありますし、怪しげな地震や噴火、気象災害などもあるのでそちらも気になります。

 

 

 

 

ロシアに対して行うあれこれは、結果的に自分たちに致命傷を負わせかねない諸刃の剣であることを自覚しないと、物価の上昇、金融システムの変革、つぎつぎと起こる変化の渦に呑み込まれて、世界の経済も、また一段と混沌を深めていくでしょう。

 

そして、日本を取り巻く他国との関係性が厳しいものになっていきます。

 

 

 

 

◎可能性のお話

これは一つの可能性としてのお話です。

 

今回、日本が経済制裁などロシアを敵に回す態度を明確にしたことで、仮に今後かの国が日本に向けて動き出した時、ロシアとその国を相手にして、日本はどこまで対峙できるのでしょうか。

 

対峙なんて言葉は笑ってしまうくらい現実味がありません。

 

国内政治もボロボロのようですし、いまのアメリカがまともに助けに入る可能性は期待できないようにおもいます。

 

下手をすれば、一方的に好き勝手されます。

 

たしか、ロシアが攻めてくるようなことが神事に書かれていましたが、 このままだと、攻め込まれるというよりは、自分たちの失態で自ら呼び込もうとしているようにさえ思えてきます。

 

 

 

 

◎大きな揺さぶりの中で

今年から、システムの改変も含めた様々な変化が激しくなることは感じていました。

 

そして、いざ始まってみると、多くの人たちがいったいどこまで耐えたり持ちこたえられるだろうか、という感じです。

 

耐え、持ちこたえたところで、その先で生きていく力を今つけないことには、しょせん問題に多額の利子をつけて先送りにしたにすぎません。

 

また、これから起きる話というよりも、すでに私たちはその変化の渦中にあるのですから、これまでやってきたことが問われる時期でもある、と思います。

 

余談ですが、最近お会いした方たち数人の方は、いまそれぞれに大変な状況で過ごしています。

 

しかし、それはこの先のために力をつけるためでもあり、ご本人たちは大変ですが、これくらいはこなせるくらいになってもらわないと、というメッセージも感じました。

 

自分がなにを大事に生きていくか、その事が明確に決まっていればいるほど、とっさの時や混乱の中で、見失いかけた自らを取り戻したり気持ちを持ちなおすことがしやすくなります。

 

方向性をしっかり決められるように、多少余裕があるうちに、自分自身に問いかけてください。

 

そして、自分の答えが出るところまで考え続けてください。

 

そんなにすぐに答えは出ないでしょう。

 

そうであれば、何日もかけて折にふれては思い返し、あきらめないで何度も考えていくことで、かすかな感覚から始まる閃きとなって気づくこともあります。

 

やらなければ答えはでません。

 

求めるから気づきやすくなります。

 

求めていないところで閃いても、おそらくほとんど軽く受け流して終わりです。

 

身動き取れなくなってから慌てることがないよう、今できることの中で考えて行動してください。