◎不意に受け取った言葉
昨日、不意に言われた言葉がありました。
「まだ死にたくない」という思いは
生きていてよかった
そう思える幸せを感じたいから
というものです。
これは人によると思います。
ただ、こういう思いで生き残ろう、長く生きようと思っていたとしても、実際に幸せを感じられることを何か取り組んでいるかといえば、そうでもないでしょう。
大した努力や取り組みもしないにも拘らず、特別な自分に特別なことが起きて、幸せだと感じたい、ということであれば、多くの人が密かに抱く思いかもしれません。
しかし、こういうことに対してなにも考えないまま過ごしていれば、生活が苦しくなったり体調が芳しくなくなる中で、不安が募り、特別なものを求めてうまい話に飛びつき始めます。
いまは負荷がどんどん増す流れの中にあるのですから、詐欺に引っかかったり、人の言葉をよく聞こう
とせず、自分に都合よく解釈してトラブルになったり、そういうことも増えていくようです。
何に幸せを感じるかは人それぞれ。
食べ物、衣服、生活環境、体験、関係性、成長、特別ななにか、お金、等々。
人と違うことがあって当たり前ですから、誰かに聞いて教えてもらうようなものでもありませんので、自分がなにに幸せを感じるのか考えてみて下さい。
コロナが流行りだしてから、人々はパニックになり、世の中は混乱し続けているように見えます。
しかし、実際は私たちが隠していたり気付いていなかったおかしなところが、この騒動をきっかけにあふれ出してきたから、ということだと思っています。
社会や人々がおかしくなった、ではなく、もともとおかしかったのです。
ですから、自分のあるがままを知って認めることができればスタート地点に立てるのですから、そこから否定を減らす方向で成長するために一歩を踏み出すことができれば、非常に有意義なものとなるでしょう。
◎余談 胸騒ぎ
余談です。
実は、ここ数日から昨日の夕方にかけて、よくわからない不調を感じていました。
それが何なのか、帰り道でようやくわかりました。
胸騒ぎがずっと続いていたのです。
自分の不調が胸騒ぎだとわかってから、なにかあるのか考えていましたが、子供たちと節分の豆まきをする中で、気が付くとスーッと消えてなくなっていました。
ついでに書くと、翌朝はすがすがしい感じで、凍って動けなかったエネルギーが回りだしたかのようになり、はれやかな気持ちで過ごせました。
潜在的に今年はなにか大きな災害でも起こるのだとしたら、またなにか感じることもあるかもしれませんし、その反面、新たな動きが始まったようにも感じています。
今回の節分と立春については、この二日にいらした方にはそれぞれ必要なメッセージをお伝えしています。
今年の課題なども伝えられていますが、皆さんそれぞれに負荷が多そうな印象ですね。
それを乗り越えていく過程で、たくましくなっていくのですが、一筋縄でいく感じではありません。
仕組みや組織の改編が行われていく中で、それぞれにも臨機応変な立ち回り、柔軟な対応、新たな状況に合わせた変化、そういうことが求められます。
うじうじグダグダやっていても、気分よく過ごせるわけではありませんから、どうせやるなら意欲をもって取り組んでいくといいでしょう。
これから少しずつ、あるところではまるで脱落者がでるように、またあるところではその組織を卒業するかのように、人の入れ替わりがあり、ぽつりぽつりと周りの関係性が変わっていきます。
人手が足りなくなることが増えたり長く続くようになると、しわ寄せがふえ、請け負う人にも限界があるため、どこかで機能不全を起こす事もあります。
これから春先までは、そういうことが順次あぶりだされ、春以降はそれらを踏まえた組織の改編が主になっていくような感じがしています。
思うようにいかない中で上手に立ち回れる人は、それなりに力が無いと無理でしょう。
ですから、うまくはできなくても、とりあえずため込んで身動き取れなくならないよう、いつも書いていることですが、早めにできることをやっていくことです。
◎余談 車の点検
余談ですが、昨日車の一年点検に出しました。
最近ものや部品が足りない話を聞く機会が多いため、自動車はどうなのかと思い尋ねてみると、やはり半導体などの関係で、納車までに2~3か月みてもらうようにしている、ということでした。
しかし、ある車種にかぎっていうと、それは半年待ちなのだそうです。
その理由をたずねると、私は知らなかったのですが、昨年の終わり頃でしょうか、東南アジアに台風がきて洪水が発生して工場が大打撃を受けたのだそうです。
こうしてコロナ騒動と自然災害の複合的な負荷になっているケースがあることを知りました。
こういうことがこれからもあるとするならば、思いもよらぬところで足止めを食ったり、想定外の出来事に振り回されて疲弊していくことが更に増えていくことになるでしょう。
そんな時、できないことを考えていても仕方がありません。
ともすると「できない」にとらわれて安易にあきらめてしまうこともあるでしょう。
そんな時でも、できることを見つけて取り組む癖をつけていけば、とっさの時に自らを救っていく可能性が高くなります。
エゴの特性を踏まえて、自分をコントロールすることを意識しながら過ごしてくと、その過程で新たに気づくことも出てくると思います。
いざという時になにかできるのは、日ごろの取り組みの結果としてです。
なにもやらないで都合のいい結果を期待するのは、冒頭にも書いた神さまのお話に通じていくものです。
後悔なく生きたい人は、そのあたりのことを自分なりに考えてみてください。