◎余談 其の一
先に余談として台風について感じていることなどを書いておきます。
台風8号~10号が発生する期間は、水害が起きやすいといわれました。
11号以降もなにかあるでしょうが、それはまたなにかあった時に書いていきます。
先週あたりから見かける情報から考えると、PCR検査に代わるものがすでに準備されているようですね。
コロナに対しての扱いが少し変わるかもしれません。
ただ、主目的はそのままでしょうから、あるエゴが違うエゴに取って代わるだけ、と似た話です。
弱い人間は弱いなりの扱いをこれからも受け続けることに変わりはありません。
8月中旬前付近から、重い雰囲気を感じています。
コロナへの政治対策は医療が基準のようですが、経済や食なども命に関わる事柄ですから、それらに対する締め付けや制限が今後もたらすことはけっこう長く影響を残すことになります。
そこに自然災害も加わり重なってくると大変です。
地震や台風での被害は、その後もしばらく影響が続きます。
個々の何気ない日常の中での問題も、重なり合うことで思わぬところでことさら大きな歪となる場合があります。
自分の生活に影響があるところでいま感じている問題があれば、早めに解決しておくことです。
◎ウソがはびこるこの世界
もし今この時代で生きやすくなりたいなら、「いま私たちが生きているこの世の中はこういう理屈で動いている」ということを踏まえて考える必要があります。
お金を中心にまわっているのに、それを否定したところで生きやすくはなりません。
弱肉強食の世の中ですから、弱い立場で正論説いたところで、生きていける強さを身につけて行動にうつしていかなければ、ただのきれいごとでおわります。
正論をいっても理解してもらえないことは多々ありますし、そもそも日常生活の中で、まともな言葉を私たちはつかえていません。
間違った言葉を使っていることにも気づかないまま、自分が正しい、相手がまちがっている、というところでやりあっても意味などないのです。
私たちが生きやすくなるためにやることの一つとして、きちんとした言葉をつかえるようになること、ということがあります。
誰かの考えを受け売りで自分の思いとして思い込んでも、それに基づいてやることがそのまま自分のためになることはありません。
最近では、科学的根拠、医学的根拠、そういった言葉を理屈の根本に据えて話をする方もいるでしょうが、論文を作成するために行う研究の費用は誰がだすのでしょうか。
自費で賄えるものならいいのですが、そうでない場合、スポンサーがついてなされるものもあります。
そのスポンサーのためにならないことを研究したとして、お金は支払ってもらえるでしょうか。
多額の資金を提供できる人たちとはどういう人たちでしょうか。
真理を歪めるほどのエゴの判断でなされているものであふれかえったこの世界です。
大きく偏ったものが正しい根拠として据えられている場合もあるでしょう。
それらを引き合いにだし語ったところで、実際のところどこまでまともな理屈に通じるものなのかは分かったものではありません。
さらにいえば、(まともなことも言えない)誰かが言ったからを根拠に相手を論破しようとしている人もたくさんいます。
自分が正しい、相手が間違っている、このどちらかに決めたいようですが、わからないものはわからないというのがありのままの自分を認めることではないでしょうか。
正しい/間違っている、でいえば、どちらも大して正しいことなど言えていない、というのがほとんどでしょう。
二元性の世界にとらわれている、ということがどういうことか、こうしたことから考えることもできるはずです。
すべてが間違っているとは言いませんが、以前ひろかねさんから「今の世の中のほとんどはうそだらけ」と言われたことを、改めて思い返すことが頻繁にあります。
根拠となるものすべてをとことん調べ上げていると、時間がどれだけあっても足りないと思います。
物事の優先順位もあるので、そればかりやる理由がなければ無理する必要もないでしょう。
どこまでやるかは自分で決めることですが、ウソかどうかの見極めをしていかないことには、思うように生きられない状態がいつまでも続いていきます。
自分が納得できるところまで考えることはした方がいいと思っていますし、そのために使えるようついている頭を使わない手はありません。
嘘を嘘とわからないのにわかったふりをし続けるから、アホやバカといわれ続けます。
それを認めないから、いつまでもそれ相応の扱いを受け続けていきます。
みんながやっているから、という理由で決めることはその一例です。
正しいことを言っても理解できない、下手をすれば厄災をもたらす魔女が現れた、くらいのことをいってしまう人たちが大半の世の中で、みんながやっていることがどれほどのことか考えてみれば、自分の命を預ける決定基準にそれを持ち込むこと自体が、自らの運命を決定づけます。
真っ当な道筋が過去どれほどかき消されてきたでしょうか。
かき消したい人はかき消せばいいと思っていますが、自分が選びたい選択を一緒になってかき消し、自ら生きづらくする必要はありません。
それぞれが自分の生きたい道を選べばいいのです。
合わなければ離れればいいし、合うところがあればそこで一緒に過ごしていけばいいのです。
しかし、不完全な私たちですから、成長していくために時に苦しい状況を乗り越えていかなくてはいけない場合もあります。
スマートで優雅に運命を切り開いていけるような自分であれば、そのように生きていけばいいでしょう。
そうでないにも拘らず、そう生きていけると勝手に信じ込んで悩んでいる人が多すぎます。
地べたはいつくばって必死に生きなきゃこの先持ちこたえられないような人が大半なのですから、いま悩んでいることがある方は、そのあたりをどう考えているかチェックしてみてはどうでしょうか。
この先と書きましたが、すでにいまはそういう時期であり、この先はそれ以上です。
◎肉体ではなく魂に刻まれる烙印
ここで書くには厳しい内容なので詳しく書きませんが、「魂に刻まれる※※の烙印」という話を少し前に受け取りました。
今の時期の過ごし方が及ぼす自分自身への影響は、場合寄っては私たちが思っている以上に永いものになりそうです。
結果が出てからでは遅すぎる、というひろかねさんの言葉に加え、「因果応報が早くなる」という今の状況を活かし、できるうちに自分のために修正をかけていくことをしていただくといいと思っています。
これまでに学んできたことのおかげでいまその刻印を免れている人も、この先まだまだ大変な状況は続いていきますので、自分の思いと運命の創造主としての力を大事に、よりよく生きるということをおろそかにしないで過ごしていただければと思います。
そうなる前にさんざんこれまで書いてきたので、その時期に入ってしまった今は改めて書く気にもなりませんが、書かないと気づかない人もいるので少しだけ。
方向性の異なる他人のことを気にする余裕はもうありません。
そういう時期はとっくに終わっています。
よりよく生きることを目指すのであれば、自分のことを何とかするために生きてください。
烙印を刻まれるような一線を越えた人たちや自分とは異なる方向性を選んだ人たちとの関係性をいまさらどうこうするために割くエネルギーがあるならば、自分をなんとかすることです。
どちらが正しいとか間違っているという話ではなく、その人たちはやりたいようにやり、自分自身も生きたいように生き、望むように選択した結果、いまそうなっています。
よくわからないものにすがるのではなく、信頼できる自分になれるように取り組んでください。
そのことに自分のできることを向けるようにしてください。
実践する人はやった分だけ変わっていきます。
※印のところは、ここでは隠すようにいわれたため、そのようにしてあります。
◎余談 其の二
私達を大きく見守る存在の中で、さらに意識レベルが上がった方がいらっしゃいます。
その結果、以前の取り組み方とは変わり、すがらせるということを改めたようです。
それ以上のことはおっしゃいませんが、見守る眼差しのやさしさは前以上です。
いまはその事だけ伝えたかったようです。