◎人の成長に接して
先日、ある方とお話をした際、時間がかかったものの、一つ成長されたことを実感されていたこともあったので、その事をきっかけに思ったことなどを書いておきます。
改めて、人の成長はそれぞれです。
同じ話を聞いても、理解の度合いは異なりますし、それをどこまで実践するかによって結果も違ってきます。
他の人と比較しても自分がよくなるわけではないので、劣っているといって落ち込むようだとあまり意味がありませんが、励みになるならそれでもいいでしょう。
今ある自分は、これまでやってきたことの結果です。
エゴは習慣化された考え方や行動を繰り返すため、そのパターンの中で同じ結果が出続けることになります。
事故や病気やトラブルなどが起きれば、そうならないように反省して考え方を改める、行動を変えて繰り返さないようにする、そうすることで異なる結果への道筋を選びなおしています。
なにかを教えられても、そうしない限りは、なにも変わっていきません。
頑なに毛嫌いしている人への接し方や、自分のこだわりでやっている仕事の仕方、日常の習慣、そうしたことを変えていくことを無意識に嫌がる人は結構います。
いいと思えば言われなくても勝手にやるのですが、「わかっているんですけど・・・」でやらないうちは、まだそれを今までやってきたことよりいいとは思えていないということです。
それでも、そこを繰り返し繰り返し自分の考え方を確認しながら少しずつでも変えようとしていると、理屈に合った考え方と取り組みであれば、時間がかかっても変わるなりのことができるようになっていきます。
方向性をだしている、あきらめない、そういうことは結果がでたときに確認が取れることだと思っていますが、先日もお一人、時間をかけてやってきたことの変化をご報告してくださった方がいました。
器用な方ではなく、ご本人なりにつらい思いをしてきて向き合わないようにしてきたことに対して、その話の中で自然と向き合えるようになっていました。
これまで語ろうとしなかったことを語ってくれていました。
気にしているうちは隠したり話しません。
しかし、人に話したり表に出せるようになってきたということは、もうそこまで気にならなくなってきたということです。
私たちは日常でこまごまとしたことをあれこれ気にしながら過ごしています。
自覚なく気にしていることが大半で、言われても最初は意識したり納得できない人もいます。
しかし、そこに費やすエネルギーはけっこうあり、一つひとつは大したことはなくても、塵も積もれば山となる、で、よりよく生きることに目を向ける元気がないくらいになっている人が大変ではないでしょうか。
日常気になっていること、不満を抱えていること、そうしたことから目を背けるために、人のあれこれにケチをつけたり世話を焼いたりしている人もいます。
周りで気になる人がいても、その人ができることの中で好きにやっていることですから、自由を認めようと思って学んできたことを踏まえて考えていけば、不満も減っていきます。
自分がやったことが返ってくることを理解するほどに、人のことや世の中のあれこれを気にしなくなっていきます。
そして、まずは自分のためになる目の前のこと、そのことを考えるようになります。
日常感じる不満や不安に対してどう考えるのか、それがよりよく生きたい人がいまやることです。
そして、自分がどう生きたいのか方向を決めて、そちらに進むためにここまでやりましたが、ここまでどうでしょうか、ここからこうしていこうと思うのですがどうでしょうか、という聞き方だと、より成長が早くなることを覚えておいてください。
方向性を定めていないことで、これまで学んできたことを忘れ、物珍しい話などに目を奪われて、エゴが望む現状維持にはまり込む人がいます。
あなたはそうなっていないでしょうか。
例え新たな時代に入っても、それではいままでやってきたことが意味をなしません。
エゴがしゃしゃり出てきて取って代わられる、そうならないためにエゴのチェックとコントロールです。
一生懸命生きるからこそ、後悔ない人生になります。
それは自分がやることであり、レベルが高くても低くてもできることです。
前回書いた揺らぎは長引いており、まだ落ち着く感じがしていません。
今年は自然災害も昨年より多そうな感じがしています。
今の世の中が生きやすくなっているか生きづらくなっているか、それは個々が判断することですが、制限が増えれば生きづらくなるので、その中でどのように否定的な思いを減らして不満の残らない考え方ができるのかが大事なことだと私は考えています。
情報に翻弄されてしまうこともあるでしょう。
自分を見失いそうになることもあると思います。
しかし、どうなっても、いまあるところで自分ができることから始めることです。
私たちには、それができるのです。