難の時代と黒い神さま

◎個に立ち返ったあとの変化

 

夏至までの個に立ち返る時期を抜け、それぞれの思いが強くなり始めている人たちがいます。

 

機を待ち望み力をためてきた人は、それを行動に移すことで花開くこともあります。

 

自分の思いを、周りの理解や協力を得られながら遂げていければ、それはとても幸せを感じられるでしょうが、自分のことだけ考えて周りを押しのけたり、我慢してきた分だけ卑屈になって感情が噴き出すようなことになると、周りとの軋轢が生じるため、生きづらい状況になりかねません。

 

また、これまで抑え込まれてきた関係性であれば、我慢していた分だけ反動でつよく意思表示することもでてくるでしょうし、今までと違うことを始めることによって、いままでとは違う関係性へと変化していきます。

 

互いに何を目指しているのか、相手がこれまでとは違う行動にでても、それがその人の幸せになることと理解できるのであれば、相手の変化を認めて自分の生き方も見直し、改めて相手と一緒に同じ方向を向いて、ともに歩んでいくこともできます。

 

いままでのパターンがあるから合っていた関係は、パターンを変えれば合わなくなります。

 

そこでは相手も反発してくるようだと、衝突して極端な行動にでてしまうこともあるので、自分の思いをチェックすること、考えて行動すること、感情をため込みすぎないで意思表示を日ごろからできるようにしていく、そういった関係性をつくっていく、そういったことをやってきたかどうかが問われることになります。

 

一方で、より一層抑え込んだり我慢する人もいますが、内にため込んだエネルギーは行き場を求めて動こうとするため、ストレスが過剰になり、体調を崩してケガをしやすくなったり、大きな病気になる人もでてきます。

 

揺れ幅が大きくなるほどに、どこまで冷静にものを考えられるか、ということになりますが、あれはダメ、こうしなきゃいけない、そうした否定的な思い込みや決めつけがあるほどに、気持ちは大きく揺れ動き、感情にのまれて取り返しのつかないことをする場合もあるのです。

 

 

 

 

◎改めて、国難の時代

 

自分の責任を他に押し付けることは、力があればできてしまいます。

 

因果応報が働くのでどこかでまた返ってはくるものの、それをやれば一時は平穏になるのですから、自分が成長して変わることで問題を解決していこう、という発想がない場合、力がある存在にとってはお手軽な選択肢として責任転嫁を選び、弱い人間に押し付けることもあります。

 

力があると思い込んでいる人は、日常的にそれをやりますが、過信や慢心でそれを安易にやるようでは、力があるからではなく幼い故にやってしまうことですから、すぐに未熟な点や落ち度が露呈し、かえって自らの首を絞めることになりかねません。

 

しかし、国家レベルでいうとそれなりに力のある国はあるので、これまではそういう国と関わることになる周辺諸国は、なにかあると緊張感が高まり、穏やかではなくなっていました。

 

しかし、これからは少し様子が違うようです。

 

軍事力をちらつかせ、他国との関係で主導権争いをするようなことは昔からありましたが、先日書いたような食糧事情が怪しくなるようなことがあると、自国民を食わせていくためだけでない理由で、おかしなことを実行することもでてきます。

 

これまでくすぶっていた様々な思惑が、機を得て、大義名分に結び付けることで行動に移されるようなこともあるでしょうから、そうなった時、私たちの住む世界はあまり望まない新たなステージに入ることになります。

 

ただ、そういうことを想定して自国を守る準備してきた国もあり、そう簡単に話は一方的には進まないようです。

 

なによりも、「国難の時代に入った」といわれていますし、これまでの世界が変わるという流れがあるため、問題のある政策や外交を多く行ってきた国ほど、各国それぞれに内部ではいろいろと問題があるようです。

 

国内問題でそれどころではない場合もあれば、その国内問題から目先を変えるために他国にちょっかいをかけても、内部で統率が取り切れず、瓦解するきっかけを自ら作ってしまうこともあります。

 

余力があれば、無理な外交で自国の損失を穴埋めしたり責任転嫁したり、平静を装って報道を利用してやり過ごしている間に問題を抑え込むこともできますが、やってきたことの結果が責任転嫁を上回るくらいのペースで返ってくるようになると、内部崩壊が外からもわかるようになっていきます。

 

これから何年かかけて、そういう国々を私たちは目の当たりにすることになるようです。

 

大国レベルで他国とやり合っている場合ではない状況になれば、それはそれでまた経験のない混沌とした世界に変わっていきます。

 

 

 

 

◎黒い神さまの話

 

私たち一人ひとりを取り巻く環境や状況は、これまでにないほどのペースで大きく動いています。

 

いろいろなものを突き付けられ、判断を迫られ、選択を強いられているように思えることも出てきますが、その中で何を選択するかによって生き方やあり方が違っていくのです。

 

コロナが流行り厳しい職種もある中で、同じ職種内でも、おかれている状況はそれぞれ異なります。

 

運もあるでしょうし、一生懸命やっている方はもちろんいますが、うまくいっている人は、うまくいくなりのことをどこかでやっているはずです。

 

それを自分も学び、真似してやってみることから、新たな生き方が備わっていくこともあります。

 

現状維持に執着する、自分は変われない、変わりたくない、変わる必要がない、そういう思いが強い人たちは、うまくいかないことを素直に受け入れられないとき、誰かのせいにしていきます。

 

黒い神さまに対して悪魔と決めつけるケースは過去山のようにあったそうです。

 

しかし、それは足を引っ張って不幸に引きずり込んだり、災いに突き落としたわけではなく、例えば、「お前がおかしいんだよ」「お前が変わればいいだけなんだよ」という事実(負荷)を黒い神さまはシビアに突きつけるのだそうです。

 

それを受け入れられなかった人は、そこから逃げ、より悪い選択をして自ら不幸になっていった、と言われました。

 

そのことを認めることも受け入れることもできず、神さまのせいにして、神さまを悪魔と呼んだ人たちもいるようです。

 

それを卑屈にならずに乗り切ったものは、また異なる運命をたどってきた、とも言われます。

 

悪魔は悪魔でいるのでしょうが、そのせいにしても自分がやることを変えなければ運命なんて変わるはずがありません。

 

これからますます生きづらい状況に陥っていくとして、自らの思い込みで物事を見て判断するエゴというものを無視している限り、これからの厄災を乗り切っていくことはほぼ無理でしょう。

 

エゴを認め、それとどう向き合うか、その意味がわかるでしょうか。

 

 

 

 

◎幸せを求め、自立を目指すなら

 

変えることがなにかあるとすれば、他でもない自分自身です。

 

そのことに気づいて取り組んできた人は、地獄のような世界にいながらも、また異なる有り様で過ごしていくことになります。

 

以前どこかで書いたように、これからは負荷があって当たり前の世界になっていきます。

 

負荷が無くなるのではなく、負荷があっても気にならないレベルになっていける人たちがでてくるのであり、それが進化の一つの指標になっていくのです。

 

極端なことを書けば、例え悪魔に騙されたりそそのかされても、自分がおかしければそれを素直に認めることですし、何かされて嫌ならだまされない賢さ、揺るがない自分の思いを生きるたくましさ、そういう生き方ができるようになっていけばいいだけです。

 

自分をよくしていくために私たちはこの世界で生きています。

 

そのために何年、何十年、何百年、はたまた何千年か何万年かかるかは、その人次第ですが、お花畑に囲まれて、「あ~幸せ♪」みたいな世界を思い描いていると、とんでもない勘違いだったということになるでしょう。

 

いまあなたたちは難の時代に生きている、と言われます。

 

厄災を司る新たな女神さまが従えていたのも、黒い神さまたちでしたが、あの神さまたちのお仕事の一つは、厄災を通して今の時代を生きる私たちに負荷をかけることであり、難の時代とは負荷を感じることが多い時代ということらしいです。

 

自分の成長が、いま求められているのです。