飢饉の空

◎自分の言葉に目を向ける

 

原初のエネルギーによってその人の歪みが誇張されるとき、それまで続いてきた周りとの関係性を壊すほどの暴走をしてしまう可能性があることを書きました。

 

それによって、新たな環境や状況で生活するようになったとき、もっと気を付ければよかった、やさしい言葉をかけるんだった、相手に配慮して行動するんだった、寛容的にせっすればよかった、など、反省をしても、住む世界が大きく違っていく流れに乗ってしまってからでは、どうにも修復がききません。

 

そうなる前に、身の回りの人たちとの関係性を見直し、身近な人や大事な人に対しての接し方に気を付けることです。

 

そして、日常的に使う言葉は無意識の思い込みが含まれているので、影口をたたいたり、暴力的な言葉が口癖になっていれば、それが自分の幸せのために役立つものか、身近な人たちがそれを聞いてどう感じるのか考えてみてください。

 

自分が他者に対して特別偉いと思い込んでいれば、バカにしたり罵倒する言葉を発しているでしょうし、卑下する思いが強ければ、「どうせ」「だめだ」「やっぱり」などの言葉を言い訳の枕詞のようにして頻繁に使っているので、思い返すなどして、それを言っていいことあるのか考えてみるといいでしょう。

 

無意識に思い込んで口にしている言葉は、自らに暗示をかけ続けます。

 

そういう言葉を意識して変えていくことができれば、行動にも変化が訪れます。

 

自分の幸せ、大事な人たちの幸せ、そういうことにそぐわない考え方、言葉、行動、態度、雰囲気、気が付いたところから変えていくことができるものはいろいろあります。

 

日ごろ理想を口にしたり、目標としているものがあっても、言っていることと実際のやっていることにずれがあれば、思うようにいかなくて当たり前なのですから、そこを見つけては変えていくことが、意識レベルを上げる日々の取り組みになるのです。

 

自分で気が付いて変えようと思わなければ、相手に失礼なことも、周りに不快なことも、自分の恥をさらし続けることも、それに気づくことなく平然とやり続けてしまいます。

 

自分で変えたいと思っていなければ、人に指摘されても、周りから注意されても、聞き流して改めることがないどころか、反発して二度と言わせないような態度をとってしまう人も中にはいます。

 

しかし、それも自由があるなかでその人がやったこと。

 

その人が聞きたくないことを話せばお節介になりますし、無理強いすれば自由を奪うこともあります。

 

私もそういうことを繰り返しやってきましたが、「つい」やってしまう自分を変えていくのは、変えようと思わないと変わらないのです。

 

そういう人に限って、他人が同じことをしているのを見た時、自分のことを忘れてあざ笑ったり腹を立てたりするものです。

 

物事がわかるようになっていくにつれ、いかに自分勝手で偏った生き方をしているのか気が付けるので、思い出して恥ずかしい気持ちになることも時にあるでしょうが、それがわかれば少しは成長したといえるでしょう。

 

 

 

 

◎血迷う前に

 

今日の会話の中ででてきたことです。

 

これから、また自殺者が増えていくそうです。

 

また、病気も増えていくということでした。

 

本音を言わないで不満をため込む癖があったり、鵜呑みにして自分で考えられないような人たちは無意識に我慢を続けていますが、最近の風潮も重なることで、体へのストレスが過剰になってきているようです。

 

本来自分を守る働きをする抗体が自分を攻撃する自己免疫疾患、ウツ、癌、アレルギー、肺炎、そういた病気や症状も増え、症状もつよく出やすくなるそうです。

 

家族が倒れたり不調になることで家計が苦しくなったり、精神面で落ち着かなくなることがあることをずいぶん前に書きましたが、そういう時期にいよいよ入ってきたようです。

 

ただ、弱い人から消えていくので、まだ表立って見聞きするわけではありませんが、半年、一年と経つ頃には、状況はいまとは変わっているようなので、穏やかさが大事だよ、という言葉の意味が、ここでも改めて考えさせられるのではないでしょうか。

 

自分のことだけ考えていてもうまくいくわけではありません。

 

家族が一人入院しただけで、心乱される人はかなりいます。

 

乱されてもいいのですが、そこから立ち直れないと、いつまでもその状態は続きますし、自分の幸せのためになるなりのこともできないまま時間は過ぎていきます。

 

やることやらなければよくなるはずがないのですが、忙しかった、余裕がなかった、思いつかなかった、やる気が起きなかった、などと言い訳しても、やらなかったなりの結果は変わりません。

 

責任転嫁で言い訳してそれに執着することは、大変な時代になるほどにたくさん見かけることでしょう。

 

しかし、厳しい言い方ですが、自分がやった分しか変わりませんし、自分がやったなりの結果しかでないのですから、集中して実力を発揮できるような日ごろの取り組みを常々やっていくことです。

 

言い訳をなるべくしないで、責任転嫁して逃げないように努めて、それでもやってしまったものは後から気づいた時に認めるようにし、そこからまた少しずつ変えていくことで、徐々に自分の力を発揮できるようにしていくことができます。

 

発揮できる力を磨いていくこともできます。

 

それでも、いざというときに力及ばず、ということもあるかもしれませんが、やれるだけのことをやってきていれば後悔を持ち越すことは減っていくのですから、その先で今に集中して力を発揮できる経験として活きていきます。

 

6月頃から、岐路に立たされている人たちがやってくるようになりました。

 

運命の大事な分かれ道かもしれないと思ったときは、勢いで突っ切ろうとするよりも、立ち止まってよく考えるようにしてください。

 

判断に迷うようでしたら、ご予約をとっていらしていただければお話をさせていただきます。

 

血迷ったときにまた来ていいですか、と言われたことがありますが、血迷ってからでは遅いので、なるべくそうなる前にいらしてください。

 

 

 

 

◎余談 飢饉の空

 

梅雨空が続いていた6月のどこかで言われたのは、「飢饉」という言葉でした。

 

梅雨の曇り空ではあるものの、私がいまの世の中に感じていた薄暗く重い雰囲気は、梅雨が長引いているということだけではなく飢饉によるもので、飢饉の空のもとその時代に入ったことを伝えられていました。

 

まだ身の回りではそういう感じはしないかもしれませんが、これから実感していくようです。

 

なかなかブログが更新できない頃に言われていたことを思い出したので、載せておきます。

 

 

 

 

◎加筆分

 

仕事帰りに受取った内容が有るので、加筆して掲載しておきます。

 

注意期間はあと2日ほどありますが、そこをどう活かすかのお話です。

 

とくにこの期間、感情に呑まれた人は原初のエネルギーがその暴走に加算されたり起爆剤のように働きますが、自分が感情に呑まれそうになっていると気づけた人は、感情に呑まれないようしたり、コントロールしようと強い意志で変えていければ、今回はそこに原初のエネルギーが働きかけるので、その強い思いや意思が強調されて、期間後もそれを継続しやすくなるのだそうです。

 

いつもなら売り言葉に買い言葉で反発したりケチをつけて終わっているようなケースでも、相手との関係性を大事にしていきたいから感情的になるのではなく、しっかり話を聞いて、自分に非があれば素直に認め、是であれば相手を不快にしないように心がけながら真意が伝わるように言葉を選び態度に気をつけながら話をしよう、というところを実践できれば、不確かで頼りない1回の成功体験として以上に、より堅実な成功体験や実績として、その後の自信の土台になっていくのだそうです。

 

生き方を変えていくチャンスですし、こういうきっかけがあるとやる気が出る人もいるので、書いておくことにしました。

 

原初のエネルギーは今後もそれぞれのタイミングで活発になることがあるようですが、そのタイミングは私たちではわかりません。

 

しかし、自分をよりよく生きる取り組みを常々行いながら過ごしていければ、折に触れて追い風が吹くように働きかけてくるそうです。

 

とりあえず、あと二日ほどはそのことを意識して活かしやすい時期ですので、やる気のある人はがんばってエゴのチェックとコントロールに勤しんでいただければと思います。

 

 

 

加筆分の余談です。

 

注意期間、地球全体で中規模以上の地震が発生しやすいようです。

 

念のため、お気をつけください。