運命を越えていく

◎「これくらいのことはね」

 

九州を中心に豪雨の被害がでています。

 

ウェザーニュースを見ると、1週間後の15日(水)の予報図には、梅雨前線がしっかり日本列島上空にでていました。

 

まだこれから被害が続くと思われますので、お気をつけてお過ごしてください。

 

また、深夜から明け方に大雨が降ると対処できなかったり逃げ遅れることもあるのですが、そういうケースが増えそうです。

 

近年、気象に関しては荒れてきていましたが、今年はどこまで荒れていくのでしょうか。

 

4月に書いた新たに現れた厄災を司る女神さまが出てきたときの厳しさは、そのまま現象化の中に見ることができそうです。

 

ただ、今のこの状況でさえ、この先の展開からすればまだ穏やかな方らしく、「これくらいのことはね」という感じで、改めてなにか言われることもなくなっています。

 

 

 

 

◎エゴのパターン

 

基準が変わって、私たちは自分以外人のことや、いま直接関係ない事象のことを気にしている場合ではなくなっています。

 

ここを見ている方たちが何を目的に見ているかはそれぞれですが、占いの当たりはずれのようにここを見ているだけであれば、自分を生きることがまだできていないと思ってください。

 

役に立たないことに時間を使っていますね、ということです。

 

統計に基づいて導き出される鑑定や占いは、これまでの多くの人たちのエゴのパターンを描き出したものです。

 

エゴというのは無意識の思い込みでもあります。

 

無意識の思い込みでずっと生きて生きたいのであれば、そういうことに熱心になっていけばいいのですが、自分の幸せのために生きようと思うと、それではうまくいかないことはこれまで書いてきたとおりです。

 

私は、その人がより良く生きていく道筋や歩み方をひろかねさんから教えてもらい、それに基づいて自分なりに理解したことを書くようにしています。

 

それ以外の天変地異のことについては、例え神さまが教えてくれたことでも、内容を踏まえて考えていくと自分の成長に役立つ話でないことですので、その事以上に重要視はしていません。

 

 

 

 

◎考えて判断することの重要性

 

神さまは神さまで目的があって皆さんにお話をしているので、その目的が理解できている人は、おのずと興味を持つ内容がそうした事象ではなくなっていきます。

 

私が言おうが、神さまが言おうが、自分の役に立たないことは、その人にとってはたいして意味が無いことです。

 

誰が言ったかにこだわって、身近な人から言われれば適当に受け答えし、特別な人から言われたと思えば殊更重要視して態度が変わるのは、自分の幸せのために生きる取り組みとして、まだかなり課題を残しています。

 

思い込みに付け込まれて、いいように利用されることはよくあることですから、それは神さまを名乗る存在に対しても最低限気を付けることは当たり前のことです。

 

どう気をつけるのかといえば、姿も見えず受けとるものが言葉しかない以上、言っていることで判断するしかありません。

 

「あなたが犠牲になれば皆が救われます」と言われて、立派なことを言う存在だからさぞかし偉い神さまや天使に違いないと思い込めば、その人は喜んで犠牲になるでしょう。

 

しかし、少し考えてみれば、誰も犠牲になることなく皆が幸せになる方法があるかもしれません。

 

また、その存在が自分で神さまとも天使とも言っていなければ、勝手にその人が思い込みで決めつけただけですし、自称で言ったとして、それを確認することができなければ、実は信じる根拠になりもしないのです。

 

そもそも、神さまが自分だけを救ってくれる、特別に応援してくれる、ということ自体がおかしなことなのですが、自分が特別な存在と密かに思い込んでいたり、虐げられた経験がもとで卑屈になってコンプレックスを抱えていたりすると、「それに見合う自分」と都合よく解釈して正当化してしまうのが私たちの歪んだエゴの特徴なのです。

 

私たちは常日頃から、そういう勝手な決めつけや思い込みに基づいた判断をついつい繰り替えしていて、一時利用されたりうまくいったかのようになることはあるかもしれませんが、いつまでもそれが続くはずもなく、思うように生きられるはずがありません。

 

幸せな人生になっていくこともありません。

 

だから、その無意識の思い込みで生き続けるエゴのおかしなところを確認して、気づいたところを気づいた時に修正しながら生きていくことが大事になるのです。

 

 

 

 

◎これまでのパターンから抜けていく

 

ひろかねさんが教えてくれたことを理解するほどに、おかしなエゴのパターンから抜け出て、独自の運命を歩むようになるので、統計学に当てはまらない生き方ができるようになっていきます。

 

それは、全体の中での不調和から調和へと移行していくことでもあり、エゴの損得という二元性の世界の基準から、自分という一元化した生き方へのシフトでもあるので、どんな状況でも自分がやることは常に変わらない、と言えるようになっていけば、その時の素直な自分の思いに従って生きることで、エゴのパターンや周りのあれこれに振り回されなくなっていくのです。

 

 

 

 

◎どちらを選ぶのか

 

すでにステージは変わり、私たちは自然災害がいつどこで起きても珍しくない環境で生きる時期に入りました。

 

この先、生き続けていくために、そういうことが気にならない段階まで成長している必要があり、そのために必要なことや大事な考え方はすでに伝えてきています。

 

多くの人を救い上げる気はないことを以前神さまから言われていましたが、それは裏を返せば、ここに書かれていることを本気で理解しようとしている人が少ないことを示しています。

 

ここでなくても、自分の役に立つことが学べるところがあれば、そこで自分のためになるようにやっていけばいいので、合うところを見つけることもいいでしょう。

 

ただ、選り好みするうちは、たいして成長しないことを覚えておいてください。

 

エゴ主体で生きているのですから、エゴが巧妙に自分の歪みをはぐらかしたり隠したりして、嫌がることをやらないように仕向けてくるからです。

 

自分なりのやり方にこだわるその人が、エゴのチェックをすることがまともにできなければ、脇から素知らぬ顔してしゃしゃり出てきたエゴに気づくことなく、よりよく生きるという言葉だけが上滑りして、気づくこともないままに現状維持に執着していくことでしょう。

 

そういう方は、これまでの統計学に基づいた運命通りの生き方となっていきます。

 

今からでもいいので、運命を越えていくための考え方を、少しでもこれまでのブログから読み取ってつかんでいただければと思います。

 

 

 

 

◎あなたにとっての幸せはなんですか?

 

自然災害はこれからも各地で起きていきます。

 

しかし、どこで何が起ころうと、自分が稼いだ分しかお金は入ってきませんし、能力がなければこの先その稼ぐ金額も目減りするか無くなっていきます。

 

この世界で生きていく最低限のことすら、考えなしに生きている多くの人にとって困難な時代に入っていることをよく自覚してください。

 

周りの人たちとの関係性が悪ければ、幸せを感じることも減るかもしれません。

 

病気がちであれば、やりたいこともできず、気分がすぐれないまま一日が終わっていきます。

 

幸せは人によって異なるものです。

 

自分にとっての幸せがなんなのか、そのためになにをすればいいのか、他のことを気にしている暇が果たしてどれほどあるのか、よく考えてください。