◎厄災を司る女神さまたちのその後についてなど
今回は、その後どうなっているかと思い確認したことなど、書いておきます。
厄災を司る女神さまたちは、いま世界各地で粛々と準備やなすべきことをなしているようです。
個人的な指導に当たるような神さまではないため、自らの役割を果たすことに専念しており、それぞれの役割は時期に応じて果たす手はずになっているようでした。
あの女神さまたちの活動期間は数か月の話ではなく、数年かけて役割を果たしていくことになっているため、時間をかけて準備したものが現象化すると、その規模も大きなものになります。
ただ、この神さまたちが一定の役割を果たしたとしても、その結果がすぐに表れるものばかりでもなさそうですし、思うような結果にならない可能性もまだまだ残っているそうです。
当初予定されていた計画はすでに大幅に変更されており、状況も大きく変わっているため、その場その場で仕込んだり動かしたり、という状況です。
更にいまは想定を超えた状況なので、やってみないとわからないことも多々あるそうです。
この先、私たちからすると思わぬ展開が繰り返されていく、そういう状況がしばらく続くそうです。
◎この先に待つのは「変革」か「グダグダ」か
変革というのは、いまの世の中の仕組みを一度しっかり機能しない状態にして、いま世の中を牛耳っている存在たちの力が及ばないようにすることが一つの目的です。
バブルだ大恐慌だと言っている間は、目先を変えられ、力関係はそのままに、仕組みを差し替えているにすぎません。
世の中の変革がうまくいかなければ、この先数年、バブルのようになる可能性もあります。
そちらに持ち込もうとする存在たちも多く、いまの社会をそのまま存続させていけば、グダグダの社会が半永久的に続く可能性がさらに強まるため、一度きっちり今の仕組みが機能しなくなるようしないと、計画も何もあったものではないため、神さまたちも必死です。
激しい自然災害、地面の陥没やインフラの崩壊、新たな病気の蔓延、そういったことをまずはやろうとしているようで、他方ではレベルの低い覚醒者をたくさん世に出すことで底上げをはかったり、レベルの高い覚醒者を世に出して変革を加速させようとするなど、も計画にあるようで、そちらは厄災を司る女神さまたちとは別の神さまたちの管轄になるそうです。
他にも私たちではわからないことがあるようなので、自分のやるべきことをやりながら、余裕があればそういう様々な展開も楽しめるかもしれません。
世の中が動けば私たちの生活環境も大きく動いていく可能性があるので、今後の展開自体はそれなりに気になる人も多いと思います。
仮にバブルのようになったとして皆が潤うかといえば、そうばかりでもなさそうです。
具体的なことはわかりませんが、いま力を持っている人たちが自分たちにエネルギーを集めるために画策して動かした結果なので大きく偏る、ということでした。
◎この機会を活かして「大きく」成長していく
私たちが変革を実生活で感じることがあるとすれば、天変地異的な自然災害やその影響を受けて崩壊していく既存のシステムを見聞きすることからが主でしょうか。
世の中が激しく変わっていくことを意識しながら過ごしたとしても、取り巻く社会情勢が一見安泰で優雅に過ごせそうに思えたとしても、どちらでも通じる生き方ができていればいい話です。
これも二元性を越えていく一つのステップです。
生きづらくなる考え方などがカルマとなるなら、生きやすくなるように考えられるようにしていけばいいだけです。
どう転ぶか、どうなっていくのか、それらに目を奪われていても、ただ見ているだけで何もしなければ、時間だけが過ぎて自分は何も変わりません。
幸せを感じて生きていこうと思うなら、自分がどうしたいか決めることです。
前回、いまの時期は過去の苦しい体験の記憶が蘇ることがあることを書きましたが、それに意識を向けるのではなく、今目の前の大事なことに目を向けることができればそれでもいいと思います。
ただ、嫌なことだからと目を背けただけで終わらせていると、その先どこかで同じ問題を引き起こし、生きづらさを感じて後悔を繰り返すこともあるので、できれば自分がどういう思いこみでその時納得いかない判断や行動をしたのか、思い込みの内容をよく確認するようにしてください。
かつての自分の思い込みが今も変わらず残っているであれば、同じことをこの先も繰り返すことになります。
当時の自分を振り返りながら、どんな思い込みで生きていたのか具体的に考えて、よりよい考え方で今の自分が納得できる結論を出すこともしていくといいでしょう。
◎次に活かすには
また、物事の片面や一部を拡大して、その事がさもすべてであるかのように思い込んでいる場合もあります。
例えば、当時誰かと意見があわず、その人のことを嫌いになっていたとしても、今は知識が増えて理解できていることも変わっているので、「自由に照らし合わせて考えてみれば、自分の都合に合わないだけだったから、相手がそういう考え方をするのは問題ではなかった」と気づけるかもしれません。
すると、これまで否定して許せなかったことが、そこから判断の視界はいるようになることで、よりバランスのとれたものの見方ができるようになります。
そして、そのうえでそこで自分がどうしたいか考えられれば、より納得のいく判断ができるようになります。
そこまでやると、次同じようなことがあっても修正した考え方で判断できるようになっていくため、否定の少ない判断に基づいて行動するので、生きやすくなるのです。
それをしないで、「今回失敗したけど、次同じようなことがあった時に気を付ければいいや」で先延ばしにすると、次もどう考えていいのか判断に迷い、同じ轍を踏むか違うエゴに取って代わられるだけ、ということになってしまいます。
◎エゴをしつけてカルマをコントロールする
個に立ち返る夏至までの今の時期は、自分の考え方を見直す機会に恵まれている、とも言えます。
否定的な感情や思いがでてくることがあれば、そこで自分と向き合うようにしてみてください。
どうせどこかで向き合うことなら、ここでやっておいた方がこの先どうなっていくにしても、やらないよりはあとが楽です。
ここでやらなければ、苦しい状況のなかでさらに追い込まれるようになりながら、自分に向き合うことも出てくることがあります。
どう転んでも自分が困らない判断として、方向性を決め、その方向性にあった取り組みができているか確認する、気づいて変えることができたら、それを実際にやって結果を見て判断する、この繰り返しをしばらく続けてみてください。
始めは意識して取り組むのでくたびれますが、徐々に慣れてくると習慣になるため、あまり意識しなくても気づいて変えることがスムーズになっていきます。
そうなれば、この先苦しい状況であってもベースができているので、自分を生きづらくするようなおかしな判断を無意識にすることが減っていきます。
つまり、カルマを増やさなくなるのです。
今回色々書いていますが、タイトルに書いた「夏至までの過ごし方」というのは気づく機会が多いということで書きました。
取り組みはかわりませんので、夏至を過ぎても気づいたときにはやるようにしてください。
◎余談
混沌が増すのはこれから。
株価だけで見るとかつてないほどのバブルになる可能性もあるようですが、その場合、実態というか自分自身の境遇がそれに一致しない人も多数いる、そんなことを感じます。
周りがどうあれ、自分が納得いく取り組みをできていればいいだけのことです。
大地の変動が加速することを改めて言われているので、死傷者がでて人の不安が増したり、流通に支障をきたすような地面の陥没などがこれまでにない規模で起きやすくなるかもしれません。
うまくいっているところと、すたれて落ちぶれたようになるところ、その振れ幅が極端で、うまくいっていることも一夜にして没落するようなこともありそうです。
なにごとも長く続かない、過渡期として夏至以降はそういう印象が社会全体に対してもたれる気がします。