◎自分の思いをもとに運命はつくられていく
本日電話カウンセリングでお話をした内容からです。
その方に結石が見つかったというお話から、過去の病気との関連についてのお話へと移っていきました。
その方は、もともと内臓に炎症を起こす問題を抱えていました。
影響を及ぼしていた要素として神さまから言われたのは、怒りや憎しみや悲しみなどの感情でした。
いまは環境も変わり、その後も熱心に自分に向き合ってきたことで、現在そうした炎症が出てくることはほぼ無くなっています。
しかし、当時のストレスはすさまじいものがあり、その時抱いていた感情がそのままご自身の体を傷つけていたのだそうです。
ここで気をつけたいのは、思いや感情だけで体を壊すわけではなく、そういう思いを抱いて生活していると、自然とその思いや感情に合う生活習慣や食事をするようになり、そういう面からも運命はつくられていく、ということです。
◎食事に気をつける
例えば、通常であれば体を壊すほどの刺激物をことあるごとに多量に摂取したり、質の悪い油で揚げたお菓子や添加物の多いインスタント食品などを好んで食べたり、など、負担になるような素材が含まれている食品を好んで頻繁に食べていると、体内に取り込まれて一定期間蓄積されていきます。
ストレス過剰で体がおかしくなっていると、おかしなものを食べてもおかしいと気づかないことがあり、長期にわたってそうした習慣が続くことも少なくありません。
しかし、その時自分は感じなくても体に悪いものは悪いので、程度の差はあれども、後々忘れたころにその影響が出ることもあります。
病気になって当たり前、体調崩すのも仕方ない、そう思えることを考えなしにやり続けることで症状が出てから後悔する、そのことを私たちは繰り返しています。
体に悪いものを摂ることはいつの時代もされていますが、それが悪いものと分からないで摂ることも多かったのだそうです。
しかし、いまの時代はあふれんばかりの情報に囲まれて、知識はあっても自分に都合よく解釈することで体に悪いものが良いものに思えてしまう人も多いため、おかしなものを平気で摂取してしまうことも少なくないのだそうです。
そして、自分は大丈夫と勝手に思い込んで軽んじる、甘く考える、ということが過度になされているため、愚かさを自ら積み重ねてカルマを増やしたり、ともすると美味しいからというだけで積極的に体に悪いものを摂取し続けたり、時には安全性よりも利益を優先して人に平気で売り続けるなど、体をおかしくするようなことが個人から社会レベルまであちこちでまかり通っているようです。
一方で、そういうことに気づいて食事などに注意している人たちも一定数いるので、調べて自分なりに考えればわかることもあります。
気づかないことはあって当たり前なので、気づくことがあれば、そこから考え方や生活習慣など見直し変えていくことが、私たちのよりよい生き方の取り組みになります。
私たちに根深くはびこっているものを何とかするには、賢くなる必要がありますし、時間もかかります。
気づいてから食べるものを変えたとしても、ため込んだものをすべて外に排泄できるわけではありませんし、すぐに変わるわけではありません。
排泄できるものがあるにしても時間がかかるものが多いのです。
しかし、取り返しのつかないような状態になっていなければ猶予があるので、できることの中でできるだけやってみれば、後悔も少なくなるのではないでしょうか。
よりよく生きる一環として、気づいたところから食生活を見直して変えていくことも大事なことなのです。
◎難が小さくなっていく
その方は、当時過酷な労働環境に身を置き自分に向き合う余裕がなかったため、鋭い否定的な感情とともにため込んだものが内臓に影響し、炎症を起こしていたのだそうです。
今回は結石が原因で体調を崩したのですが、それは当時ため込んだものを排泄できるようになってきたということです。
以前であれば内臓の炎症を起こして何日も入院していたものが、今では日帰りで済むくらい負担が少ない症状に変わるところまで生き方が変わったんだよ、ということを言われました。
炎症を起こしていたものも結石も物質的には異なるものでしょうが、ある見方をすれば、同じ要因になるのだそうです。
どちらもとげとげしたものが体を痛める印象です。
しかし、自分の考え方を見直し生き方を変えることで、カルマが小さくなっていき、肉体を傷つける棘も小さくなっていったのだそうです。
ただ、まだ物質的にため込んだものがあるので、これからも痛みを伴う排泄はあるようですが、それはこの方にとって必要なステップになります。
そして、
「これも消えていく姿だよ」
と言われました。
自分の考え方を変えて難が小さくなってきたという実感がもてたからなのか、
「このことを、この先の自信としていくといいよ」
とも言われました。
◎広がる視野
生きやすさは自分で手に入れることができます。
過去やったことは時間差で返ってくるため、考え方を変えた後も生きづらく感じることがあります。
いま感じている生きづらさの問題はいま取り組んで解決していけばいいのですが、過去は終わったことです。
今起きていることと過去は因果応報という関連はあっても、取り組める問題として手が届く届かないという見方をすれば、また別のものです。
過去は目の前にありません。
今関係のない過去についてあれこれ考えるよりも、「今自分が幸せになるために何をするか」と、考え方を変えることで徐々に穏やかになっていくことが自分の経験を通してわかれば、「自分がやった分だけ変わることができるんだ」と自分を信じられるようになり、目先のあれこれに振り回されることも減っていきます。
執着や過去を無理に手放そうとするよりも、もっと大事なことがあると自覚して集中できれば、それらは自ずと意識の優先順位から外れて離れていきます。
ですから、いつも書いているように、方向性を意識しながらなにをいまやるのか考えて決めていけばいいのです。
あちらがわざわざ伝えてくる内容として、自分を信じる根拠としてわかりづらいものが時にありますが、
「様々な経験を通して、これからの時代の中で胸を張って生きていける自信の根拠をこれまでの取り組みの中で積み重ねていた」
その方を見守る存在は、今回その事に気づいてほしかったようです。
ここまで書いて、
「生きることが苦しいだけじゃない、ということがさらにわかるようになってきたね」
と、最後に一言ありました。