だって、バカだから

◎私のこと

 

なにかと問題を考えるたびに出てくる一つの答えがこれです。

 

「アホ」と「バカ」は、考えなしに生きているという意味でほぼ同じように使っています。

 

私を含めた多くの人が抱える悩みの答えはこれで説明できるのではないでしょうか。

 

開業してから6年ほど経ちますが、その半年ほど後にひろかねさんがいらしてくれて、そこからさまざまな大事なことを教えてもらうようになりました。

 

その内容はいろいろありますが、結論としていわれることは常にシンプルなものに行きついていきます。

 

ともすると長々とした分かったような分からないような答えもありそうなのに、毎回シンプルに答えることがなぜできるかといえば、これまで理屈に合わせてしっかり考えてきたからではないかと思います。

 

私はそれまでを振り返ってみると、そうしたことをまったくといっていいほどやっていませんでした。

 

懇切丁寧にお話し続けてくださった経緯があるので、少しずつ成長していまはだいぶマシになってきましたが、考え足りないことや理解できていないことはいまでもあります。

 

なにかあったとき、気づいたことがあれば取り組み、歪まないように気を付けながら修正するようにしています。

 

ある程度ものが分かるようになってくると、以前の自分のひどさがよくわかります。

 

思い返してみると、理屈にならないことを信じ込み、やりもしないで勝手な都合で甘い期待を抱いたり、意味のないことにお金や時間をかけ、根拠のないことに自信をもって人より優れているとか、自分の人生はうまくいくと密かに思い込むなど、ひどいものが次々でてきます。

 

なぜそんな自分だったかと考えてみると、「だってバカだったから」で終わります。

 

 

 

◎過去は過去

 

過去の自分を思い出して落ち込んだり、悔やんだり、腹を立てても、過去は過去です

 

なにも変わるわけではありません。

 

過去の自分をゆるすといっても、それは簡単にできることではないと思います。

 

しかし、ある時期までひろかねさんからお話を聞き続けるたびに行きつく自分に感じる結論は、「これまで考えなしに生きてきた結果が今のこのアホさ加減」でした。

 

ひろかねさんからひどく言われることはこれまで全くありませんでしたし、驚くほど否定形のない話をされ続ける中で、かえって過去のアホな自分を素直に見られるようになっていきました

 

肯定形で話をされることの不思議さというのか、力というのか、そういうものを感じます。

 

ともすると否定形に聞こえるようなことはありますが、話をキチンと聞けば、それは否定ではないんだ、とわかります。

 

ここを確認しないまま、一方的に自分の判断で否定と決めつけてしまう人も少なくないと思うのですが、自分のその考えがなぜ正しいものだといえるのか、そこを考えないで結論を出すことも、タイトル通りなのです。

 

私のことですが、ひろかねさんのお話を聞きながら最初はおかしな自分に気づくと後悔や反省をしますが、それでもなお理解しきれていないことが多すぎて、80反省したつもりで実際に改善できるのは5~10程度だったりするので、気づいたつもりで気づけていないことがいかにあるかを、いまなお実感し続けています

 

 

 

◎順番にやっていく

 

なにか嫌なことを思い出したとき、それを悔やんでもいま賢くなるわけでもなく、腹を立ててもその嫌なこと解決するわけではありません。

 

過去のことに対して、あれこれやり続けても幸せになるわけではないのです。

 

幸せに生きたいのであれば、いまここでやることは「理屈に合った幸せになるなりのこと」をするのです。

 

しかし、感情や無意識にのまれてやっているそのことが、自分の幸せになるなりのことではないことは考えればわかるので、そこに気づけるようチェックしていくのです。

 

後で気づいたときでもかまいません、思い返してチェックしてみてください。

 

たとえわずかな変化でも、やればやっただけ変わります。

 

私はやってこなかった自分を認め、当時は考えなしに生きていたからそういうことも平気でやれちゃうんだよね、と理解して認めることで、過去は過去として区別できるようになっていきました。

 

そして、よりよく生きることを学びながら自分の幸せのためにどうしたらいいかを考え、「やったことが返ってくる」「一度にできることは一つだけ」「思い込みに気づいて、自分の目的にあった考え方に基づいて行動しないとうまくいくはずがない」など、を理解するほど、周りや他人のことに心奪われにくくなり、いま自分のことに目が行くようになります

 

すると、徐々に「あの時はそうだったけど、それは今目の前にあるやるべきことではない」、そう思えるようになって、自分の中の優先順位をコントロールできるようになっていくことがわかるようになります。

 

昨日のブログで書いた方も最初はとても苦しかったと思いますが、あきらめることなく過去を認め向き合い続けることで、そうしたステップを踏んで軽くなっていきました。

 

そこまでいくと、過去をゆるす、執着を手放す、今を生きる、という言葉の意味が実践を通して理解できるようになるのです。

 

平常心や不動心というものは、気持ちを頑なにして鈍くさせることではなく、気にならなくなって影響を受けにくくなっている状態です。

 

もし揺れ動いたとしても、そのあと立て直せればいいだけです。

 

私はまだ途中なのでブレブレになることもありますが、以前に比べたらかなりマシになりました。

 

 

 

◎それはなぜなら

 

例えば、お金で回っている世の中で、お金を稼ぐことは大事なことです。

 

なぜ大事かと言えば、それはこの世界で生きていくために必要な最低限のことだからです。

 

好きなことを仕事にするのも、自由を認めて生きるのも、精神性を高めて修行するのも、その最低限のことをクリアしてからの話なのです。

 

まず食っていけなければ、それらのことを考えても意味がありません。

 

そこをわからないまま、お金を稼ぐことが悪いことのように思い込んだり、家族を養うために外で働いている親をバカにしたり、安心して外で集中して働けるよう家のことを一生懸命やってくれる家族を見下したり、大事なお金を自分の店で使ってくれるお客さんに横柄な態度をとったり、給料を支払ってくれる会社の要望よりも自分のやりたいことばかり優先したり、生きていくために必要なお金を意味のないことに使いまくったり、などなど、大事なものを大事として扱えていないのに、自分はできている、自分は正しい、自分は間違っていない、そう強く思えてしまうのが私たちです。

 

お金に限らず日常のあらゆる場面で、なぜそうしたことを平気でできてしまうのか、考えなしにやってしまうのか。

 

それは、「だって、バカだから」なのです。

 

それに気づいてそれが嫌なら、自らの運命を司る力と自由があるので、成長することで私たちはそこから抜けていけます。

 

 

 

◎余談

 

今回も役に立たない余談です。

 

眠っていたものがこれから目を覚ますような感じが今日ありました。

 

その目を覚ますのは、日本列島です。

 

光の繭に包まれてから、いつとも知れない羽化に向けて、繭の中での多少大きな変化が始まるのかもしれません。

 

長野の地震あたりから、それは始まっているようです。

 

今まで抑え込まれていたエネルギーが活性化する感じで、地震などもあるのでしょうが、それよりもその影響で活発になる人たちがいそうです。

 

これも夏至や冬至に向けて、ということなので、今回の夏至と冬至はなかなかにぎやかそうですね。

 

あちらの世界であれこれあると言われても、私たちがどこまでそれを感じられるかわかりませんので、やることは変わりません。

 

自分の幸せのために目の前のことに一生懸命取り組んでください。