行動することの意味

◎腹をたてなくてもいいこと

 

今朝、今年小学一年生になった娘の勉強をみていた時のことです。

 

算数の足し算をやっていたのですが、合計して二桁になるような計算がまだ不慣れで、途中で「できない」と投げ出していました。

 

できないことなので勉強をやっているのでできなくて当たり前のことですが、そこでできないことに腹を立てていました。

 

そこで教科書を見てみると、子供が好きそうな絵や図を使ってわかりやすくしてあったり、合計が一桁になる足し算のあと合計が1桁になる引き算をやり、そのあと合計が二けたになる足し算を習うようになっていて、段階を踏んでできることを増やしていくことがわかります。

 

一度にあれこれうやれるようには書かれていません。

 

当たり前のことですが、自分がなにを目的にその勉強をしているのかわかっていないと、例えば「1+1=」「1+2=」・・・と問題が並んでいると、計算しないで順番に一つずつ数を増やして答えたり、裏に書いてある回答を見て答えることもできます。

 

計算できるようにすることが目的なのですから、考えて計算して答えをだすことをしていかないと、計算力が身につきません。

 

そこをできないまま前に進もうと思っても、どこかで行き詰まるのは目に見えています。

 

できないとわかっているからこそ、勉強しているのですから、間違えて当たり前なのです。

 

当たり前のことだと気づけると、腹を立てることも減っていきます。

 

できることやわかっていることでも、失敗すれば見落としに気づくので、自分をよくしようと思っていれば、失敗を活かして成長していくことができます

 

やってみてわからないところが見つかった時、改善点がわかります。

 

そこをよくすれば、力がつき頭がよくなり、できなかったことができるようになり、成長します。

 

しかし、勉強が嫌になってしまうと、そこまでいくことも大変になります。

 

そこまでたどり着けるよう、幼い子供であれば勉強が嫌いにならないよう、感情的になってきつく言わないことはもちろん、できることからやらせてみたり、ほめてやる気を出しやすくしたり、気分転換させたり、工夫をするのです。

 

私も取り組む毎日ですが、なにより老若男女を問わず意欲をひきだすために役に立つのは、肯定形で話をすることですね。

 

 

 

◎やるからわかることがある

 

私たちが意識レベルを上げる取り組みをすることも同様です。

 

その問題をやりもしないで「自分はできる」と思い込んでいると、自分が何ができて何ができないのかがわかりません。

 

自分に必要ないことであれば別に問題にもなりませんが、自分が幸せに生きていこうと思ったとき、日常生活の中での周りの人との関係性をどうするかや、自分の思いにウソをつかずに生きていくこと、なにかを犠牲にして自分が生きづらくなるような考え方など、そういうことは自分の生きやすさや幸せに関わるとても重要な問題なのです。

 

しかし、それらを重要な問題や課題と気づいていない人は、後回しにしたり考えないようにするだけでなく、自分はできているとさえ思いこんでしまいます。

 

実際に解決できるだけの力があるのか、物事を理解できているのか、それはやってみないとわかりません。

 

しかし、やればわかるようになります。

 

そこをやりもしないで、できると言ったり、わかるようなつもりでいるので、思うようにいかないことを繰り返します。

 

「ここまではわかる」「ここから先は分からない」ということが自覚できると、新たな自信やありのままの自分を受け入れる下地になります。

 

ただ「わからない」という良いも悪いもないことを、「わからないことが悪いこと」と思い込んでいるうちは、なかなか自信がもてなかったり卑屈になってしまいがちです。

 

そういう思いこみがあることに気づいた人は、そこを変えていくことでさらに成長できます。

 

だから、下手でもセンスがなくても、とにかくやってみればいいのです。

 

その中で自分の目的にあったものがなんなのか判断できるようになっていくことで、自分の目的に合ったよりよい選択ができるようになっていきます。

 

私もわからないなりに初めて「はじめのブログ」を書き始め、ひろかねさんから教えていただいたことをわからないなりに考えて、理解できたなりに文章をここまで書き続けてきました。

 

それは今も変わりません。

 

言葉にしようと書くとき、よくわかっていないことは言葉がでてこず、そこでその都度頭を使って考え、言葉を絞り出すようなことはしょっちゅうです。

 

それを繰り返してきたことで、理解できることがわずかずつでも増えるので、ブログを一つの手段として自分を成長させる取り組みを続けています。

 

 

 

◎前に進む秘訣

 

やらないから判断がつかず、役に立たないものを言われるがままに信じ込んで、うまくいかない人生だったと終えていくと、あちらに帰った時に「何やってきたの?」と聞かれ、「役に立たないことをやり続けて、意味のない人生を送ってきました」と、自分の口でいうことになります。

 

後悔のない人生というのは、死ぬときに後悔がないように、と思うこともありますが、人生全体を俯瞰してみるのはむしろ死んでからなので、あちらに帰った時に胸を張って成長したことを自信をもって言えるような生き方ができるといいと思います。

 

宗教などで信仰する目的の多くが、あの世で極楽・天国に行くため、というものがあります。

 

そのためにお経を唱え、寄付をし、修行に励む人たちがいます。

 

しかし、「それで実際に天国に行ったやつを見たことあるのか?」とひろかねさんから一言ありました。

 

自分で確認していないことを盲目的に信じるのではなく、自分で考えて判断して役にたつものをやるからこそ、成長して、意味のある人生を送ったといえるようになります。

 

どういう生き方も自分の好きに選んでいけばいいのですが、

 

 ・自分の生きる方向性がなんなのか

 

 ・その目的にあったものかどうか

 

それくらいは自分で考えて判断していかないと、人の役にはたっても自分の役にはたたないことをやり続けて、あとで後悔する人生になりかねません。

 

れはあの世に行って本当にそうなのか確認しなくても、いま考えればわかることだと思います。

 

それをやったらどうなるのか、そのことを考えて、いまやることを決めていくといいと思います。

 

考えてもわからないことは、すぐに考えることをあきらめてしまいがちですが、わかろうと考え続けることで、「やったことの結果」として「わかる」ようになっていきます

 

どんなことも一度に結果が出せるわけではありません。

 

ただ、やり方を考え、おかしな点に気づいたときには変えていくことを繰り返していけば、できることは増えていくので、納得いくところまでやることができるようにもなっていきます。

 

「わからないからあきらめる」のではなく「わからないから考える」、「考えてわからないことは保留」

 

自分がなにかやるときは、そういう風に考えてみてください。

 

大事なことを考えていると思えば、あきらめて考えることをやめたことでも、気を取り直してもう一度考えてみてください。

 

手を止めたことなら、工夫してやり直してみてください。

 

ここまでやってダメなら仕方がない、というのは、そういうことの先にあるものです。

 

思うようにいかない中で、腹を立てていても自分がよくなることはありません。

 

最後に自分が納得いくには、ここで腹を立てることなのか、いま少しでもよくなることを考えることなのか、いざという時にその選択に気づけるのも、日ごろの積み重ねがあってこそです。

 

いざというときに発揮できる力となるよう、まずは目の前のことを一生懸命取り組むようにしてください。

 

すると、行き詰まることがでてきます。

 

そこであきらめずに考えるのです。

 

 

 

◎余談

 

神さまはいつでも見守っているとよくいいますが、どういう思いで見ているかはわかりません。

 

「がんばっているね」という暖かい眼差しなのか、「こいつほんとに考えなしによくやるよね・・・」と冷めた目であきれているのか。

 

こちらにいても、向こうにいっても、胸を張っていられるといいですね。