◎抑え込んでいるものへ与える衝撃
4月の後半に書いたブログの中で、「日本人の意識の根幹をじわじわ揺るがしている」ということを言われていました。
24日の日曜日の夜中、それを感じることがありました。
本当に瞬間的でしたが、意識の奥の方で抑え込んでいるものに対して衝撃を与えている、そう感じたのです。
それは私の意識のみならず、集合意識全体に対して行われているようでした。
そこで抑え込んでいるものとは、私たちが自らの自由を犠牲にしたり勝手に抑え込むために信じ込んでいる常識や固定観念のような思い込みです。
それを揺さぶり動かすことで、私たちがその事に気づきやすくなるのです。
気付けば変えるチャンスを手にすることができます。
気づいてもスルーする人もいるでしょうが、これからそういう気付きを経て行動が変わる人たちがこれまで以上にさらに増えていくそうです。
これまでの世の中の仕組みを維持するための思い込みなので、自らの思いに素直に従い行動に移すことで、自由を求めて行動に移すという風潮が高まるということでした。
当然、抑え込む動きも働き、社会がにぎやかになっていく中で、もっと強い疫病や自然災害を中心とした新たな厄災の数々が現象化して、混沌はさらに激しくなります。
これまで既存の社会の中で主軸となっていた組織やシステムは、すでに衰退傾向にあるものもあるのではないでしょうか。
新たなものに取って代わられていくので、どこに目を向けるかによって世の中の印象がガラッと変わります。
漠然と感じる社会に対しての印象ではあまり大きな変化や動きがわからないかもしれませんが、激しい入れ替わりが始まっています。
夏至を過ぎたあたりから、そのことがより一層わかりやすくなりそうです。
◎気持ちが揺れ動くとき
以前大地の変動が加速すると書きましたが、最近ではその大地というものが液状化したかのようなとても不安定で流動的なものとして感じられます。
その流動的な中で寄りかかることを当たり前にしていると、人によってはいまは不安が増すばかりかもしれません。
余裕がないことでイライラしたり、細かなミスを繰り返したりするだけ、自分はだめだと落ち込みやすくなる人もいます。
特にいまはその傾向がつよいようです。
私は「アホだな」と自分に対して感じることがありますが、そこで落ち込むことはずいぶんと減りました。
私の場合、出だしがし相当だったので、これまでも落ち込む頻度が高く修正する機会に恵まれていました。
いろいろ経験する中で、アホを認めないで落ち込んでいても意味がない、とすぐに気づけるようになっていき、まずはアホと認めて、そのうえでいまなにをやるかに意識を切り替えることで、長く引きずることも減っていきました。
仕事で失敗することもありますが、「ここはたしかにおかしかった」「でもここまではやれた」「今回はやらかしたが、それが自分のすべてではない」「違うケースではきちんとやれた」と考えることで、意欲を取り戻すことを何度もしてきています。
「万人に好かれることはない」「人間不完全なんだからできないこともある、それが嫌ならがんばればいい」「思うようにいかなくて当たり前」「みんな自分が一番正しいと思い込んで話をしている」「エゴは自分にしか興味がない」「やったことが返ってくる」「自分より上の存在が考えていることはわからない」「おかしなことをやっているのに自分は正しいことをやっていると思うからアホという」、など。
これらは一部ですが、なにかあると思い出して自分の落込みの原因となっている思い込みをチェックして修正するようにしてきました。
それによって、気持ちの揺れ動きがずいぶん減りました。
◎次の流行の時に
先日緊急事態宣言が解除されたことで、今度はコロナウイルスの第二波が懸念されているようです。
コロナに限らずなにかつよい毒性を持つウイルスなどが活発に活動する時期がまた来ることはあると思います。
もしそれが起こるとして、今回の比ではないような話を以前受け取っています。
それが早ければ今年の後半、秋分から冬至にかけての時期かな、と感じています。
コロナウイルスのことで見ていると、ワクチンや薬の開発がいまの社会においては主要な対策のようです。
そのワクチンや薬の開発は、数週間程度でできるものではないことが、今回改めてわかりました。
次の疫病がいつ起こるのかは、私たちにはわかりません。
なにがいつどのように起こるかわからないため、薬の開発のような具体的な対策もとりづらいことでしょう。
ですから、今回のように突然感染が拡大して世界各地で騒がれたとしても、有効な薬が手に入るかどうかもわかりません。
しかし、日ごろから免疫がきちんと働くような体調を育むことは、日常を気持ちよく過ごすうえでも大事なことですし、そういう時のある一定の備えにもなるため、これからの時代を生きていくうえである程度必要な考えとも言えます。
◎免疫の要として
以前、免疫について神さまから、「穏やかさが大事だよ」と言われていました。
これから生きていくうえでかなり大事なことだと思うのですが、せっかく教えられても軽く流されているように思います。
瞑想やリラックスするなにかで穏やかさを手に入れたとしても、それをやめた途端、気になることや不満がでることなどの問題が解決していなければ、果たしてその穏やかさはどこまで役にたつでしょうか。
日常生活の中で感じる不安や不満などの否定的な思いがあれば、目を背けてばかりいないで、不満や不安がなくなるなりのことをできるところからすることです。
完璧にできることはないので、まずは自分のレベルに応じたところで精一杯やってみてください。
精一杯やってもそのあと誰かと比較して「だめだ」と落ち込むようであれば、やったつもりでまだやり切れていないのかもしれませんし、自分は他の人よりも優れた結果を出せる取り組み以上の実力があるかのように勝手に思い込んでいるのかもしれません。
実際に取り組み行動に移すことで、自分の中に隠れているそうした思いこみを見つけやすくなります。
考えてばかりいないで行動に移すことで、それらを見つけやすくなるのです。
自分から目的をもって行動に移し、それを見つけることで、私たちは主導権をもって自らの運命を変える機会を手にするのです。
自分の身の丈を知り、そのなかでできる精一杯をすることで、余計に揺れ動く気持ちは減っていきます。
その身の丈とは、日常の毎日を過ごす自分です。
日々の行動はその人の信じるものや思い込みに基づいてなされるのですから、免疫の要は考え方をよりよいものに変えていくことだと私は考えています。
自分の幸せのために日々目の前のことに一生懸命取り組むことで、穏やかさもまた身についていくのです。