◎考えていたことを書き出してみました
これから時代が大きく変わるとして、一つの可能性のお話などです。
神さまからも聞きながらざっくり書きだしたものをならべておきます。
これまでの時代は、自由の解釈としてエゴの好き勝手でやってきた時代。
そこから、互いの自由を認め、方向性を出して進化成長し続ける時代に変わろうとしている。
計画といっている神々は、自分のことだけ考えて同じところをぐるぐる回っていた私たちを、ある一定の方向に向けて動かそうとしている。
堂々巡りで進歩がなかったり滞らせてたまっていたものを、改善、解消しようとしているのがいまのこの時代。
その取り組みは、例えば、スピリチュアルで語られるような内容で漠然と方向を示されたり、尻を叩かれること、それらで動き出している人たちもいる。
この場合の尻を叩くとは、カルマが返ってくるということ。
負荷によって、動かそうとしている。
考えなしに動くことは、これまでの好き勝手と同じなので、それではうまくいかない。
考えて動くこと。
その明確な方向をひろかねさんが明らかにした。
否定を減らして全肯定に向かうこと。
シンプルな言葉で語られているが、中身が濃密にギュッと詰まっている。
どれも、見たことがあり、聞いたことがあり、知っている言葉で語られているそれらの中身を、全肯定に向けて一つ一つしっかり理解することで、境涯を的確に上げていくができる。
いつの時代も気づきを語る人たちはいた。
しかし、すべてを総括し、総括したものを踏まえて語れていなかったので、それぞれが途上での語りだった。
そういう存在たちは、よりよいものを選ぶことで、それまでよりも少しずつ進歩させようとしてきた。
しかし、いつの時代もそれに耳を傾け真摯に取り組んだものは一部であり、受け継がれる中で、力を持つ者たちの都合でそれらは歪められて広まっていった。
よりよいものがありながら、それを排斥するようなことをして、前に進めるはずがない。
人々の集合意識に働きかけ、その時代その時代をけん引しながら、次の時代に引き継ぐ役割を果たす人たちは時代の要所要所にいた。
五井先生の教えやお祈りも同様。
そして、今のこの時代には、そこから更にいいものがでている。
自分の幸せに役立つよりよいものに気づけるようにしていくことが、自分の幸せのために生きること。
それを考える時期にきている。
◎エゴについて
これからの大変化を恐れる気持ちは、エゴが恐れている。
しっかり目を向けないままやみくもに恐れていないか、チェックするといい。
周りが変化する中で、たかだかエゴで生きている私たちが通り一遍の生き方で対応できるはずがない。
変化が激しい時代であればなおのこと。
なるべくエネルギーを節約して生きたいのがエゴ。
通常、変化し続けることはエネルギーを使い続けること。
エゴはそういうことを嫌がる。
しかし、癖や習慣のように無意識でいつも同じことをやる場合、エネルギーをそれほど使わないので、そうしたエゴの特性を生かしてよりよく生きる取り組みを習慣にできれば、エネルギーをそんなに使うことなく、生きていきやすくなる。
それを習慣にできるところまで、繰り返しやる。
いまがその時期。
それが身についた人から、新しい時代へとシフトしていく。
しかし、エゴはそれよりも目先の損得に興味がいくので、地道にコツコツとやることにはエネルギーを向けたがらない。
誰かにすがって効率的に楽したいので、自分以外のあれこれに目を奪われてしまい、実際は役に立たない話に興味を持つ。
自分でやればよくなることには、さほど関心をもたない。
アセンションや覚醒などに興味を持つのは、大半が自分をよくする堅実な道を飛び越えて、効率的に楽に新しい時代へとシフトできると思い込んでいるから。
あまい。
やることやるから、その先にアセンションや覚醒という展望が目の前に開けてくる。
これまでの時代で構築されて身に着けてしまった歪みでもあるが、自分を変えることなくできるだけ自分が直接やらないで、手間暇かけなくても済むものを優先的に探す癖がついている。
それはそれでいいが、そのままいつまでも自分が成長しないことにばかり目が行くのであれば、それはそういう癖に気づいて変えていくことができると、運命は大きく変わる。
よく考えれば誰もが当たり前と思う話を、ひろかねさんはしている。
よく考えればいいだけ。
それを私も取り組み中。