◎大変な五月
緊急事態宣言が発令されている中、世の中では自粛ムードが高まってきています。
一方で、理由を見つけて外出する人も増えてきているようです。
ひろかねさんのお話や世の中の動きから判断して、今ある制限は現時点ですでに5月いっぱいまでの延期が決定しています。
そうなると、自粛ムードはまだ続くことになります。
そうなると、5月は大変です。
実態はともかくとして、私たちがこれから目にする報道などでは、「政府のやったことが結果につながった」と思わされるような展開に持っていきたいでしょうから、そのような方向で動くことになります。
その一環で、自粛内容もあれこれ厳しくなり、それに従わない人たちに対しての圧力は、従いたい人たちの有志による魔女狩りという形でなされていくでしょうから、都市部を中心に殺伐とした雰囲気があちこちで出やすくなると思います。
◎間引かれる人たち
今現在の世の中で起こっていることに対して感じることを率直に言葉にすると、「間引き」です。
弱い人から順に間引かれているので、5月はそれが一層強まるのではないでしょうか。
これからも様々なエネルギーが枯渇することで、間引きの対象となる人が増えていきます。
しかし一方では、ここで少しでも踏みとどまって今目の前のことに集中して取り組めている人、あきらめないで生きている人、そうした人はまた違う状況を迎えます。
もちろん、エネルギーがたくさんあって余裕をもって過ごしている人もまだまだいます。
この先、様々な面での格差の広がりがより具体的で緻密になっていくため、私たち一人ひとりの有り様そのものが、混沌を現すようになっていきます。
自粛要請に従うことで感染の鎮静化へ協力しようという人たちや、コロナ感染を恐れて外出しないでいる人たち、そうした人たちのフラストレーションや不安が増す一方、抑えが効かずに外出し始める人たちや経済的に限界がきて商売を再開するひとが増えることで、対立構造があちこちで出来上がることになります。
我慢しろ、許せない、間違っている、などの考えから、過剰な抑え込みや魔女狩りを始める人もこれまで以上にでてくるでしょうし、おかしなことを言ったりやったりする人も同じように増えて表にでてきます。
6月はまた違う感じがしていますが、5月は混沌とした様相が激しくなっていきそうです。
◎くびきとして
こういう世の中で暮らす人々の不安な意識が作り出す現象化は、これから経済不況と自然災害、そして疫病に対して具現化されやすくなるでしょう。
一方で、自分の幸せをあきらめずに生きる人たちの思いが作り出す現象も、その裏で徐々に形作られています。
しかし現時点でその比率が圧倒的に少ない分、その現象化にはしばらく時間がかかります。
これから多くの人が望むような世界に変わっていくのであれば、苦難を通して意識が変わる人や気づきによって生き方が変わる人が増え、さらに間引きなどが進み、徐々に現象化するものも変わって比率が逆転した結果、そういう世界へと移行していくのかもしれません。
ただ、そこまでもちこたえられないでつぶれていく可能性もあります。
それはこの宇宙全体に対しても、個々に対してもいえることです。
そうならないためのくびきとして、カルマを一定量解消して自分の幸せのために生きることをあきらめない人が今の時代に求められており、実感するかどうかはともかく、あちらからのサポートはそういう人にこそ向けられていきます。
◎可能性があるうちに
私たちは、どんなときでも手の届く範囲の自分ができること以上のことはできません。
できないことをやりたがっている人を巷ではよく見かけますが、できないものはできないのです。
できるようになってから考えればいいことをいま考え、いまできることを考えないのが、考えなしに生きている時の私たちです。
やることやってできなければ、納得しやすくなり、その後に悔いを残しにくくなります。
悔いが少なくなるほどに、今に集中しやすくなります。
そして、将来への不安に対しても、その不安の最中になれば、できることの中でできることを精一杯やるだけですから、いざというときに目の前のことに集中するには、なにが今目の前にありそれをどうやるのか、日ごろから取り組んでいくだけの話です。
いままだ可能性がわずかでもあるうちに、できることを精一杯やることでその可能性を残し、できることなら、そこからさらに新たな可能性を見出し形にしていくことでこれから先の世界を乗り越えていく、私たちの大半はそのように過ごしていくことになります。
◎弱い奴は落ちる、強い奴は残る
ひろかねさんは「これからは一流の人しか残っていけない」と6年前に話してくださいました。
現時点でその他大勢の一人として仕事をしているようだと、すでに今この時点で厳しいはずです。
しかし、まだ結果がでていないのであれば、なにかできることがあります。
いま目の前にある可能性に気づき、その機会をしっかりつかんで活かせるよう、私たちは必死に生きる時期に入っているのです。
優雅に過ごせる人はそれでいいでしょうが、自分とその人は違うのですから、自分がどの立ち位置で生きているのか考えてください。
間引きという言い方をあちらはしませんが、揺さぶりや振り分け、どれも意味は同じです。
弱い奴は落ちる、強い奴は残る、ということです。
誰かの意図や陰謀論などはどうでもいいのです。
誰が悪意を持ってやっていても、崇高な存在の計画でなされていても、強ければ残る、それだけです。
その強さは、自分を生きることであり、自分の幸せのためにあきらめないで取り組めることであり、それができて方向性を出せているということになるのです。
自分を生きるのではなく無意識に誰かをあてにする生き方にこだわるうちは、すがる対象を探すため「誰」が言っているかにこだわります。
しかし、自分を生きて自分で判断しようと変わってくると、自分の役に立つことは何なのか考えるため、「何」を言っているのかに目がいくようになります。
そこはご自身で気づいて変えていけるところです。
そうしたことに気づいていけるのかどうかも、強さの大事な一要因です。