◎五井先生について思うこと
なぜこのタイミングなのかわかりませんが、昨日から五井先生とお祈りについて書くことを促され、本日アップするよう求められたので、やや長いですが更新しておきます。
私は、五井先生のことを知ってから本を読み、動画を見ていくなかで、とても誠実な印象に加え、柔らかな物言いと分かりやすい言葉でお話をされていることで、素晴らしい方だな、好きだな、と感じるようになりました。
ひろかねさんが覚醒した時に、月読の大神とともに挨拶にやってきた五井先生のことを覚えていて、すごく優しい人だとわかった、と話してくれたことがありました。
また何年か前、息子が一時的な覚醒状態になり、生まれてくる前に五井先生とお話をしてきたことを話してくれたことがありました。
「五井先生、ほんとうにやさしいんだよ!!」と、嬉しそうに話してくれたことを覚えています。
しかし、その五井先生も、いまここで私たちと同じ人として生きているわけではありません。
今この時に五井先生がいないということは、五井先生の役割は今この時代ではなく、あの時代にあったからだと私は思っています。
いまは、より広い視野で物事が見えるところから見守ってくださっていますが、この世界のことはこの世界の住人がなんとかするのが当たり前です。
あちらの世界から優先的に手出しできるのであれば、私たちがいる意味がなくなってしまいます。
意味とは、まずここにいる私たちができる限り自分たちで判断して決めて行動に移し、結果を通してこの世界をつくり続けていくことです。
ひろかねさんのお話では、どの存在にとってどういう都合かはわかりませんが、「いまここにあるということは、必要があるからある」ということで、私もそう思います。
本当にいまこの時にお祈りが必要であれば、いまご存命で活動されているはずです。
五井先生のお祈りは、過去のあの時代に必要だったものです。
仏陀と同様、役割をもってそれを果たされています。
いまのこの時代につなぐために、あの時代に合った形で、当時の人たちが理解できるように、あの時代に通じる教えをなされたのです。
そして、「やるのはあなたたちですよ」という思いを込めて講話をされ書物を書かれていますし、その真意がわからないまますがってくる信者に対しては、がっかりされたこともありました。
それが、当時のそのままやって、今も通用し意味があるものになるでしょうか。
ゴールではなく道しるべとしてなにを目指して教えてくださっていたのか考えなくては、五井先生がこの世に転生して指導された意味がないと思います。
◎お祈りについて思うこと
五井先生が提唱されたお祈りは、エゴ主体で考えなしに生きている私たちよりも、歪みが少ない言葉です。
言葉自体が不完全なので、完璧で歪みが全くないとはいえませんが、課題の多い段階の私たちが考え口にする言葉や行為よりは、はるかに歪みが少なく、正しく使えば歪みを減らせるため、効果はあると思います。
また、五井先生という自分より上位の存在につながることで、その先の苦難の時代を生きるために、指導を受けやすくする目的もあったのでしょう。
また、先ほども書きましたが、それは当時の人たちに合わせて伝えた内容です。
ですから、確かに効果はあるでしょうし、そのあたりのことも踏まえてわかってやれるならばいいと思っています。
しかし、その手順として、自分のやるべきことをやらないままお祈りばかりやっていても、「面倒なことは人任せで、自分で考えて自分を変える気はないよ」という態度になります。
これは前も書きましたが、目上の存在に対して頼みごとをするのに、非常に失礼な態度ですし、その取り組みでよくはなっていきません。
そして、そういうお祈りをやったしても、それ自体が全体が目指す進化の方向性からはずれてしまうため、歪みを生じさせたり増やしてしまいかねません。
問題を抱えたまま、日常生活をおろそかにしてお祈りばかりやっている人を見て、皆さんはどう感じるでしょうか。
五井先生が覚醒されるまでの経緯を本で読んだことがありますが、日常生活をおろそかにされたわけではなく、やれるだけのことをやりながら段階的に修行に取り組まれているため、社会性も伴わず問題抱えて生きている人が同じような結果をだせるほど、安易なものではないのです。
お祈りするだけで覚醒できる、そう思ってやっている人もいるかもしれませんが、最低でもお祈り以外のやることをやって意識レベルを上げないと、まともな覚醒の機会はない、というのがほんとのところです。
そのうえで、自分の上位意識が判断してなされることです。
やることやったうえで、五井先生ほどの覚悟があってできるなら、そういう取り組みをすればいいと思います。
◎お祈りをふまえて
そこまでのレベルでもない状態で、お祈りの意味も考えず、そこから発展させることもなく、日常での自身の問題から目を背けるためにお祈りばかりやっていたのでは、執着となってしまいます。
それこそ、自分がない生き方になるのではないでしょうか。
それをさせるために五井先生は指導されたのでしょうか。
私は、今この時にあった取り組みというものがあると思っています。
お祈りする以上に大事なことに気づかせるために、あの時代、当時の人たちのレベルに合わせて五井先生は教えを説いてくださったと考えています。
幸せに向かいながら、ありのままの自分を認め、できることを精一杯やって自分を生きること、それに気づいて自分を変えていける、そう理解して生きていけたらいいと思います。
しかし、社会も個人も固定観念がつよく自分の思いを信じられる人が少ない時代だったからこそ、お祈りにとどめてお話をされていたのではないでしょうか。
できないことを伝えても、できないという結論しか出ませんが、そこから時代は大きく変わりました。
いまだに様々な制約はあっても、当時よりは自由を認めて好きに生きていいということを理解しやすくなり、よく考えることで実践しやすい時代になっています。
ですので、当時のまま受け取りやり続けるのであれば、それはあまりに考えがなさすぎると思います。
その大事なことを、私はひろかねさんから教えてもらったと確信しています。
自分を生きること以上にお祈りが大事であれば、この世界にお祈りだけ残して自分はなくてもいいのではないでしょうか。
お祈りもいいとは思いますが、それはメインではなく、あくまでフォローとして伝えられたものだったはずです。
自分がきちんと生きたいと思っているのであれば、お祈り以前にやれることややった方がいいことが他にあるよね、具体的に見ていけば見つけられるよね、その方が進歩も早いよね、という考えで私は指導しています。
正直、私たちがそれらをやり続けていたら、優先順位を考えても一生お祈りをする機会はないかもしれません。
それほどにやるべきことはたくさんあるのです。
◎いまの時代にあわせて
瞑想も同じです。
ひろかねさんからも言われましたが、まずこの世界で問題なく生きられるようになってから、やることなくなってそこから先に進みたいときに、お祈りや瞑想でさらに上を目指したいのであれば、それをやればいいのではないでしょうか。
いまを生きたくても、思い込みが強くてなにをどう自分で考えてやればいいのかさえわからない、だからそれをわかるようにお祈りでインスピレーションを受け取れるようにして、少しずつできるようにしていきましょう、と考えている方もいるかもしれません。
当時はそれでもよかったと思います。
しかし、いまは時代が変わっています。
そしてなによりも、ひろかねさんが教えてくれたことが、まさにその「どうやったらいいか」の答えであり、それを学んでエゴをよりよくしていけば、上位意識につながらなくても生きやすくなることは格段に増えます。
それでもなお、この先を生きていくには上位意識とのつながりがあった方がいいのですが、やるべきことを差し置いてわざわざ時間を作ってお祈りしなくても、方向性を出して日常の目の前のことに集中して取り組むことで、上位意識とのつながりを構築していくことはできるのです。
ですから、日常をおろそかにしてお祈りや瞑想ばかりやっている人たちよりも、はるかに効率的できちんとした生き方ができます。
うしろめたさもなく、卑屈になることもなく、特別なことに捉われて奇異の目で見られることもなく、胸を張って堂々と正道を歩いていくことができるのです。
私は、お祈りを信じている人たちの中で、お祈りの意味を知り、それを踏まえて今この時代にどう生きるのか、それが分かるようになった人たちは、自分を生きられるようになっていけると信じています。
今この時に生きて活動しているのは五井先生ではありません。
私たち一人ひとりが、今この時を肉体をもって生きているのです。
五井先生の活動を通して伝わってくる今を生きる私たちに向けたメッセージには、先ほども書いたように「やるのはあなたたちですよ」という思いが込められています。
フォローであり、補助であり、メインではありません。
自分を生きることが、いま私たちがやることなのです。
それをやるために、今この時代に生きているのです。
私も途上です。
皆がそれぞれの幸せのために後悔なく生きられることを願っています。
ここで一言ありました。
五井先生をはじめとした見守る存在たちは、皆さんの幸せを願っているそうです。
◎ひろかねさんのお話
人間の世界はウソがつける
言葉だけでは
どいつが本当のことを言っているかわからない
それが区別つくくらいの頭がないとね
そのために生きてるといってもいい
その世界に通じることをやれば
一番いい
◎意識レベルを上げる取り組みで大事なことの一つについて
以前も書いた内容だと思いますが、今の時代の意識の進化を求める中で大事なことを一つ書いておきます。
上位の意識からの指導を受けたりインスピレーションを受け取るとき、こちらに合わせてくれるのが当たり前とおもうのではなく、こちらが上位の意識に合わせていくことです。
自分より上の意識に合わせようとするからこそ、成長します。
わかるように書いてください、話してくださいではなく、わかろうとすることです。
わかろうとするからわかるようになり、よりよくへの方向性を出した取り組みとなります。
◎余談
コロナウイルスについては、報道されているものはともかく、落ち着いてきた感じがしています。
それはつまり、次に移行しかけているということかもしれず、地震がなんとなく気になっていたところ、本日やや大きめの地震がありました。
一応気を付けてお過ごしください。