この世界で生きるために大事なこと 中編

◎呪いの言葉

 

「アセンションの波に乗りましょう」とか、「運気を上げて」とか、「恐怖にフォーカスしないように」など、たとえ理屈があっていても、それを実生活のなかでどうやってやるのか、大半がやり方をわかっていないのですから、実際のところどれもできないことばかりで終わってしまいかねません。

 

それを一方では、たいして考えることなしにできるかのように信じ込ませ、一方ではわかった気になってできるようになったと思い込み、「自分は大丈夫」というわけのわからない呪いの言葉で、安心しながら手を取り合って沈んでいく人たちもいるのです。

 

いまやっていることが、この先の結果となって返ってきます。

 

気づいて変えれば、変えたなりのことが返ってきます。

 

お金については、国や都道府県の補助で一時的に助かることもあるかもしれませんが、それだけもらって自分が何もしなければ、すがったりあてにして過ごしただけの結果しか返ってきません。

 

また不定期なお金の配布をあてにしてしまえば、目の前のことに集中できなくなっていきます。

 

必死に頭を絞って考え、自分で稼ぐためにできることを続けていかなければ、この先、そうしたお金に振り回され続けていくことになるでしょう。

 

この先、景気が一時的に回復し、バブルのように活気づくこともあるかもしれません。

 

しかし、そうなった時にすぐに動ける人たちは、今この時に力をつけ、準備をしています

 

そうならなかったとしても、生きていく力を着実につけています

 

例え精神世界のことなど全く知らない人たちであっても、大事なことがわかる人はいますし、やる人はできる中でできることを精一杯考えてやっているのです。

 

今回の振り落としに耐えられなければ、一時的な好景気が来たとしても、日々の生活を何とかするだけで時間が過ぎ、その後に訪れるまたさらに大きなインパクトを前にして、なすすべもなくあきらめることになるのです。

 

 

 

◎家族との関係

 

一生懸命仕事をすることは、この世界で生きるために大事なことです。

 

仕事に専念するのに、家族の応援やサポートが力になる人も少なくないのではないでしょうか。

 

家族関係がうまくいかず、いつもいがみ合ってばかりで帰宅しても心身ともにやすまらない、なにかにつけて文句ばかり言われる、帰宅して挨拶もなければ一方的に話をされて会話にならない、こちらも高圧的な態度で接するなど、互いに不満がたまる一方で、一緒に過ごすことにうんざりしたり苦痛を感じる人もいると思います。

 

一方では、帰宅したときに、働いて稼いできてくれることへのねぎらいの言葉がまず最初にでる、お互いにできているところを認め、助かっている面に気づいて感謝する、相手を気遣いやさしい一言をかける、笑って過ごす時間がある、など、そういう時間を家庭で過ごすことが日常的にできていれば、疲れ方も仕事への集中や頑張りも変わるため、結果が変わっていきます。

 

そのような結果の違いがでるなりのことを、日常的なコミュニケーションを見直すことで、少しずつ気づいたところから変えてできるようにしていくことです。

 

日ごろから身近な人たちとの関係性をよくするなりのことをしていないと、コロナで自粛して自宅に居続けるようなこういう場面で、不満が募って気分悪く過ごすことになります。

 

気になる方は、コミュニケーションについてブログに書いてきているので、改めて読み返していただくといいと思います。

 

 

 

◎この世界を肯定して幸せに近づいていく

 

この先がどうなるかなど誰にもわかりません。

 

しかし、自分がやった分が返ってくる、やらなかった分は返ってこない、それはこれからますますはっきりしていきますし、自分でコントロールできることです。

 

この世界はいまお金を中心に回っていると書きましたが、なにを中心に回っていても、それらを踏まえて物事を考えなければ、その世界で幸せに生きられるはずがないのです。

 

いま自分がいるところ、その中でどうやって幸せに生きるのかを考えることです。

 

そのために考える頭があり、考えたことを行動に移す体があり、それをできる自分がいるのです。

 

あるものをあると認め、それをどう使ったら今自分が少しでも幸せになれるのか、それをやるのです。

 

しかし、お金中心で世の中が回るなんて間違っている、とか、そんなことあっちゃいけない、といって否定したくなる人もいるでしょう。

 

お金を稼ぐことを積極的に考えるなんてけがれている、という人も中にはいるかもしれませんが、いま自分が住んでいるこの世界を否定するその考えで、幸せに生きていけるでしょうか。

 

否定して自分が幸せになるでしょうか。

 

幸せに生きられないで納得いくのでしょうか。

 

納得できない、成長もしない、幸せにもなれない、その挙句に不満ばかりためこんで、自分の人生に生きる意味を見いだせるのでしょうか。

 

あの世で幸せになれれば、などと考えていても、実際死んでから行ってみないとわからないことです。

 

だったら今、幸せになった方がはるかに納得できるでしょう。

 

そもそも、いま幸せに生きられるから、あちらでも幸せなところに行けるのです。

 

自分の境涯に応じた世界に行くといわれているのですから、ちょっと考えればわかることですが、そのちょっとを考えないことで、この世界で奉仕という名の犠牲にその身を捧げて内心苦しみ、この世で幸せになろうとしないまま、あの世で天国に行けると信じてしまうのです。

 

しかし、この世で我慢して犠牲になれば、あの世でもその境涯に応じた「自分が苦しい世界」に行くのです。

 

それを天国と思っているのですが、その方がそこに行ってから天国と感じるかはまた別です。

 

私は、そういうところを地獄というのではないかと思っているので、自己犠牲になるような生き方をしたいとは考えていません。

 

自分が歪まないように頭を使うはずが、思い込みによって頭を使う以前のところで足をとられてしまっていては、前に進めるはずがないのです。

 

そこをチェックして見つけていくのです。

 

生きるためにお金を稼ぐことも、エゴを肯定していく過程の一つの段階です。

 

意識の進化を果たせるように真剣に取り組む、そういう時期に私たちは生きているのです。

 

 

 

◎余談

 

忘れそうだったので、メモ程度ですが書き残しておきます。

 

「水を侮るな」

 

と先日言われました。

 

消毒ではないのですが、そういう方面に関しても水の力はすごいんだよ、賢く上手に使いなさい、ということを伝えたかったようです。

 

またなにか補足があればどこかで書くかもしれません。