◎この世界で生きるために大事なこと
それは、まずお金を稼ぐことです。
きれいごとや理想に基づいた様々な取り組みもありますが、それらはこのことをクリアしながら、もしくは、クリアしてからのお話です。
それをどう思うかはともかくとして、いまこの世界はお金中心で回っています。
私たちは、生きていくためには食べなくてはいけません。
食べ物を手に入れるためにも、大半の人にとってお金は必要なものです。
住居は野宿でも生きてはいけるでしょうが、できれば住むところもあった方がいいでしょう。
社会生活を営む上で衣服がないと、さすがに裸では難しいでしょう。
それらを手にするには、基本的にいまこの社会ではお金が必要です。
だまってお祈りだけしていてもお腹はふくれませんし、家賃を払わなければ追い出されるかもしれません。
衣服がボロボロでは仕事に就くことも大変でしょうし、仕事をしていてもお客さんが不快に思えば仕事にならなくなっていきます。
そのお金は、仕事をして稼ぐことで手に入ります。
自分が稼がなくても財産として受け継いだ潤沢なお金があったり、さらに住む家が持ち家だったり、食べ物も困らない程度に誰かからもらえ、周りを不快にさせない程度の衣類は常に手に入るのであれば、今の時代、ほぼ働く必要はないでしょう。
しかし、私たちの大半はそうではないはずです。
この世界でいま暮らしている以上、まずやることは、生きていくためにはまず働いてお金を稼ぐことであり、そのことを真剣に考え実行することです。
◎エゴを踏まえて考える
エゴ主体で生きている私たちが作るこの世界です。
エゴが何に対してお金を使うか考えてみることです。
そのエゴが望み納得するなにかを提供できたとき、仕事としてお金を受け取ることになります。
エゴがなにを望むのか、エゴの特性を踏まえてまずは自分で考えてみてください。
元手があれば投資などもできるでしょうが、それはある一定以上のお金を持っている人の話です。
私たちの多くが、生きるためのお金を稼ぐ手段として働きます。
単発で終わる仕事よりも継続して働けるように何度も足を運んでもらえた方が、エゴにとっては生き続けるために働くので、エネルギーを使う上でも効率的です。
商売をしている方は、何度も足を運んでもらうために、それぞれ工夫したり努力をします。
愛想よく接するなども、商売する上では、できないよりはできた方がいいのは当たり前の話です。
しかし、「来てくれて当たり前」だと思っていると、自身の傲慢さから、せっかく来てくれたお客さんからの要求に腹を立てることもあります。
そこで考えてほしいことは、お金を稼ぐことが目的で働いていて、お金を払ってくれる人が来てくれているのですから、それは自分の目的にあった「いいお客さん」だということです。
多種多様なサービスや店などがある中で、自分の店を選んでわざわざ足を運んで来てくれた上、「生きるために必要」な大事なお金を自分のところで使ってくれるわけです。
その人が気持ちよくお金を払えるように、こちらも精一杯で対応することになにも問題はないのではないでしょうか。
それなのに、一生懸命接客対応するどころか、どうでもいいことに不満を感じたり、つけなくてもいいケチをつけたり、どの立場でそれに不満を感じているのかよく考えないと、ろくな仕事ができていないことに気づかないまま一生を終えていきます。
ろくな仕事ができていない、というのは、生きることがまだ未熟だといってもいいかもしれません。
そういう方はあの世に行って、「ここ、気づかなかったよね」と言われるかもしれませんね。
◎神さまたちはどういう気持ちで見守っているのでしょうか
私たちはそのように一生懸命働きお金を稼ぐことで、自分がこの世界で生きていくための一つの土台を構築していきます。
それができるようになりながら、気づいたところで身の回りの問題に向き合い、一つずつ生きづらさを減らしていき、自分が出した「よりよく」の方向性に向かって成長を続けることで、意識レベルは徐々に上がっていきます。
そのことを理解し、実際に取り組み続けていくと、余力を残して一日が終わることの方が不思議に思えてきます。
これまでの生き方を振り返り、ベストを尽くしたと言えるでしょうか。
あなたはここまで後悔なくやってきたのでしょうか。
好きでやっている仕事だと、また印象は違うかもしれませんが、それでも夢中になってやっているので、一日があっという間に過ぎていくことでしょう。
そうしたこともしないで「お金に困ったらお祈り」と言い出しそうな人が、この世界にはあふれかえっています。
そんな私たちに対し、「もっと必死にやれよ」と神様たちが見ているのです。
いまがまさに、それをやるときなのです。
◎余談
最近、時間の感じ方に変化があります。
以前だと、「あ、もうこんな時間だ」と、時間の経過の早さを感じていました。
しかし、ここ数日は、「まだこれだけしか経っていないんだ」と、過ごした内容に対して時間があまり経過していません。
特にこのブログを書いているときに感じています。
多少効率が良くなったのかもしれません。
あと、昨夜言われたことがあります。
「言葉の刃が鋭くなっている」
抑圧的な雰囲気の中、多くの人たちがストレスによるものなのか、言葉に敵意や悪意を込めて発するケースが増えているようです。
以下、その後に受け取ったメッセージです。
免疫が落ちるということは
それだけ気持ちが弱くなる人もいるということ
やけくそでとか
衝動的になったり
投げやりな感じで
つい
言ってしまったことが
これから取返しがつかないことになることを心に留めておくといいだろう
そうした機会が格段に増えていく
本気では思っていなかった
そんなつもりではなかった
あとで何を言っても
ときにそれは覆ることがない事実として力をもつ
言葉に出すことの責任は
自らの生き方の中で痛感することになる
その時後悔しても
遅い