光の繭に包まれて

◎3月28日に見えた光景

 

例によってファンタジーなタイトルですが、土曜日に見えた光景です。

 

龍やドラゴンやいぶきという鳥によってなされたことのようですが、光の繭に覆われた地球がそこにはありました。

 

これから何年か何十年かわかりませんが、地球とそこに暮らす私たちは、繭の中で激しい変化を遂げて羽化していくようです。

 

なにかに蝕まれて繭の中で終わることもあるようですが、うまくいけばこれまでとは違う世界に進化していきます。

 

その結論だけ感じて、「よくなる!」というのは間違いではありません。

 

しかし、例えば幼虫から蝶に変わることを考えていただくとわかるように、まったく別の形になって活動領域なども劇的に変化する場合、かなり激しい変化が蛹の中で起こっているはずです。

 

それと同様に、光の繭の中では、羽化するまでの途中段階では激しい変化が起きていくのです。

 

存在を照らす肯定の光に包まれて、それまで隠されてきた否定の思いが次々と姿を現します。

 

それとどう向き合っていくのか、それが今この時期に生きている私たちがやることになります。

 

 

 

◎3月30日のメッセージ

 

コロナウイルスをきっかけに

 

いま世界は

 

各地で分断が起きています

 

 

 

そこで起きることは

 

一時的に

 

エネルギーの循環を遮ること

 

 

 

これまでの世界を改め転換していくために

 

これまでの世界を保ってきたエネルギーの流れをとめることが一つの目的です

 

 

 

そして

 

個に立ち返る

 

ということを促していきます

 

 

 

自分さえよければいい

 

から

 

まずは自分のことをきちんとする

 

 

 

この転換から

 

その人の世界は変わっていきます

 

 

 

個に立ち返るために

 

そうした促しは国や町や地域に会社や組織

 

そして個人という単位でも起こっています

 

 

 

その転換の答えを

 

それぞれが生き方の中でみつけ

 

実行し

 

自らを変えていくこと

 

 

 

それが予定されていたことです

 

 

 

人は病気によって自らの歪みに気づきただしていくことができます

 

コロナウイルスもまた

 

そうした役割を果たすべく

 

いま活動しています

 

 

 

かつてないほどの大変革の一端として

 

この世界の魂の歪みを解消し

 

大いなる進化への道筋へと人々を歩ませるために

 

活動しているのです

 

 

 

◎いまあるなかで考える

 

コロナウイルスの影響で、生活の中で制限されることが増えてきています。

 

今回の新型コロナウイルスとよばれているものがここまで活発になったことはこれまでなかったので、これからどうなっていくのか、いつまで続くのか、そうしたことはまだわかりません。

 

見込みで計画を立てている方もいるようですが、終息を前提にものごとを考えていても、できないことを考えているに等しいと思います。

 

あるものを無いことにして考えるのではなく、あるものはあると認め、そのうえでどうするのか考えることです。


コロナウイルスはあるのですから、ないことにして計画を立てても仕方ありません。


コロナウイルスがある中で、様々な制限もある中で、「どうするのか」で考えるのです。


ひろかねさんから、ことあるごとに何度も何度もい教えられ言われてきたことです。

 

ある中で、いまなにができるのか、どうやったらできるのか。

 

人によりますが、まだ病気になっているわけでもなければ、仮にコロナにかかっても軽くすむかもしれません。


なってみないとわからないことを、勝手に決めつけて不安になるのはおかしな話です。


一度に一つなのですから、なるかどうかわらないことを心配するよりも、いまあるもの、できることを考えやることです。

 

住む家や食べるものにも不自由していない、まだ生きている、そうしたことを考えれば、できることを見つければなにかできるはずです。

 

環境の変化で新たな仕事の仕方が最初は不慣れでも、やり慣れないことはやっただけ徐々に慣れていきますし、やっていく中で改善点が見つかるので、より結果を出せるものに変えていくこともできます。

 

やったことがないだけだったり、不慣れなことを、安易に「できない」と決めつけていないか、よく考えてみてください。


言葉を丁寧に扱うようにしてください。

 

いまできることはなにかをまずは考え、それを少しでも結果が出るように工夫する努力は、すぐにでも始めるといいでしょう。

 

1週間ごとに事態は変わっていき、1か月もすると激変しているのは、他国をみればわかることです。

 

よく考えてやるなら、少しでも早いほうがいいのです。

 

全体の歪みが減る過程にあるであろう今、因果応報という真理の働きもより厳密になっていくため、やることをやれば道が開けることもありますが、やることやらなければ道が開けることはない、ということはよりはっきりと実感するようになっていくはずです。

 

できることの中でできることを精一杯取り組んで生きるのが、地に足付けた生き方であり、できないことにふけって、やることやらないのにうまくいくと思い込んでいれば、地に足つくはずがありません。

 

地に足つかない状態は、自分を見失います。

 

自分がない生き方をしてこの先どうなっていくのか、それを考える時期はすでに過ぎつつあり、身をもって知る時期にはいってきています。

 

よく考えてください。

 

 

 

必死で生きなさい

 

死ぬ気でやりなさい

 

 

 

そういうメッセージを、さきほど私たちに対して受け取っています。

 

 

 

◎余談

 

先週末九州からいらしてくださった方とお話をしていたところ、

 

「東京にはもう来れないからね・・・」

 

と、ぼそっとあちらから言われました。

 

私も戸惑いながら、いらした方にお伝えした後、少しあけて

 

「・・・という覚悟で過ごしなさい」

 

と補足のようにいわれました。

 

しかし、実際にこれからロックダウンやコロナウイルスの感染拡大悪化などが起これば、時期や期間はわかりませんが、他府県からの東京への行き来は難しくなると思います。

 

東京のみならず、大都市はどこも制限が強まる可能性があり、都市間の遮断がこれから急速に進む可能性があります。

 

それは物理的な境界だけでなく、都市部から来た人たちへの生理的拒否感やそれに伴う憎悪などがでてくることもあり、様々な理由から世の中が急速に荒れていくはずです。

 

また、台風や地震などの懸念もありますし、経済的困窮や生活をかけた仕事の忙しさなどもあって、移動が厳しくなっていく可能性があります。

 

これまでのようにお話を聞くことはもちろん、ブログなども見ている暇がないくらい必死に毎日働かないと、どうにもならないような方も出てきそうです。

 

自分のことは自分でなんとかする、そういう時期に入ってきています。

 

 

 

中国やイタリアなどを見ていると、どの国でもコロナウイルスの感染拡大をきっかけに、二次災害や三次災害のようにして急速な不景気や医療崩壊に直面していくことがわかります。

 

感染拡大で大変になってきた国や地域では、食糧不足からの飢饉や経済的困窮による強奪など、すでに小規模で始まっているようです。

 

いまはまだ個人レベルなので大きく報道されることはないでしょうが、時間の経過とともに件数などが増えて目立つようになっていきます。

 

 

 

今後の日本がたどる先に「人災」という言葉が浮かんできます。

 

自分で判断できない人は、他人のいうがままに従っていくと、その人災をもろに受けることになるようです。

 

それは他人だけのせいではなく、自分のせいでもあります。

 

「人」という字は、人と人が支え合う姿を文字にしたもの、と子供のころに習いましたが、ここでいう人災とは、他者と自分で作り出す災いをいうのだそうです。

 

 

 

コロナウイルスに関しては、龍やドラゴンのように、役割を終えたところで急速に姿を隠していく可能性もあるようです。

 

しかし、その場合、その頃にはすでに大変なことであふれかえっていそうです。

 

エゴ主体の私たちにとって大変な時代に生きることで、不安に苛まれることもあるでしょうが、「よりよく生きる」「意識レベルを上げること」を日々の取り組みの土台として生活できるようになっていくと、そうした不安に揺らぐ機会も減っていき、徐々に目の前のことに集中していけるようになります。

 

そして、いまここの自分を生きることができるようになっていくことで、一元化に向けた二元性を越える生き方へとシフトしていくのです。