◎今この時も選択の機会
皆さんそれぞれになにを目的でこちらを見てくださっているのかわかりませんが、天変地異や厄災の類の話だけ興味本位で見ているだけでは、なにもしないまま時間が過ぎていくことになります。
自分に都合のいい情報だけつまみ食いするような感じで見ている方の中には、根拠なく無意識に「自分は賢いからそうした見極めができる」、そのようなつもりでいるかもしれません。
しかし、そうした見極めがエゴの損得勘定で成されていることと気づかないと、たいして成長もしないまま終わりを迎えることになるでしょう。
神さまへの特別視から話を鵜呑みにしたり、歪んだエゴの判断で終わらせるのではなく、方向性を出した取り組みの中で真剣に考え向き合っていくことで、上位意識との繋がりを通して自分なりの判断が下せるようになっていくと、これからの進化の道筋へと本格的な一歩を踏み出していくことができます。
◎私の神さまの指導目的
神さまにすがらせることを目的にして、私の神さまは指導をしていません。
そのレベルにとどまりたいのであれば別ですが、全体と合わない方向性で生きている方に対して、あちらも興味がないようです。
指導して到達させたい段階は、ひろかねさんが到達したゴールです。
今生だけでは無理な場合でも、幾転生かかったとしても方向性をキチンと今回だせれば、それはいつか叶う話になるのだそうです。
そうした魂たちが全体を構成することで、全体も結果的にゴールに向けて進化していきます。
ペースは人それぞれであっても、「よりよく生きる」という方向性をだすことと、その取り組みをあきらめずに続けることで、魂に刻み込む方向性となります。
どんな時もあきらめないからこそ、その経験がしっかりと刻まれるのです。
今後の展開を聞いていると、これからますます、つらく苦しく大変な時があると思います。
それでも、時に命懸けで必死に、時に楽しく笑顔で軽やかに、よりよく生きようとできたなら、アセンションやディセンションという言葉に惑わされることもなく、天変地異の中でも後悔少なく生きていき、進化の道筋にその身を置くことができるでしょう。
全肯定への道は、私たち一人ひとりの進化の道であり、オーム宇宙を越えた「有」全体の進化の道でもあるのです。
◎コロナウイルスへの影響は
先日、一部の方たちが一定の段階をクリアして軽くなっており、それが全体に波及すれば・・・、という可能性の話を書きました。
しかし、いまその可能性は非常に低く、むしろ全体としてはコロナウイルスなどの影響が、さらに根深く浸透する方向に流れつつあります。
効果が期待される薬や治療法など、実際に使えるまでにまだ少し時間がかかりそうですし、現場の混乱などでも重なってスムーズにはいかず、エゴの私達からみると大きく悪化していく可能性の方が高くなってきているようです。
そうした展開には訳がありました。
◎カルマ解消の連帯責任
混沌が増してきている中で、いま起きつつあることのお話です。
それは、「人類のカルマ」に対する連帯責任を果たすことが、これまでとは変わってきている、ということです。
幼いエゴの特性として、なにかあるとそれを全体化してとらえる癖のようなものがあります。
例えば、一つ気に入らないことがあると、その人のすべてを悪く言ったり、ちょっと褒められるとなんでもできるようなつもりで偉そうにしたり、なにかがうまくいかないと、うまくいかないのはそのことだけなのに、自分はダメな人間と決めつけて勝手にひどく落ち込む、といったものです。
これまで、そうした段階にとどまっている人たちがあまりに多く、そうしたことの反映によって、一部の人がやらかしてきた大規模なことであっても人類全体の連帯責任でカルマを引き受ける、というものがこれまであったのだそうです。
例えば、同じ時代、同じ地球に住んでいれば、環境が汚れた時にその汚染された環境でみなで暮らすわけですから、当たり前と言えば当たり前の話かもしれません。
いま、そこが少し変わりつつあります。
(連帯責任というと「関係ない人も責任を取らされる」という印象になるのですが、これまでの段階では一方的に押し付けられるわけではなく、やはり個々それぞれになんらかの原因があってのことだそうです。その原因として、同情や自己犠牲や思い込みの影響が関わっています。)
いまこの時期に入って考え方の変化が始まってきており、これまでより意識が高まることで、それぞれの段階であるがままを認められる人たちが増えてきていることが影響しているのだそうです。
そうした人たちがあれこれ混同しなくなってきたことにより、連帯責任から外れるケースが微かですが出始めています。
ただ、同情に引っ張られたり、自己犠牲をクリアできていないなど、今の時点では課題が残っているケースもあり、まだ明確には変化していません。
しかし、今後そうした変化が続いていくと、全体のつながりの中で自他の違いを明確に認められるようになり、方向性の違いから生じる「住む世界の分離感」へと移行していきます。
これをアセンション/ディセンションと呼ぶのかはわかりませんが、そうした変化がすでに始まっているのだそうです。
長くなったので、次に続きます。