◎猶予の時期をぬけて
前回のブログで、女神さまから「つらく苦しい時代に入った」ことを教えられましたが、まだ私たちの生活環境では、そこまでのことを感じていないと思います。
まだ、蚊帳の外のできごとです。
しかし、大変なことがこれから身近に起きてくると、自分を見失う方も増えていきます。
因果応報という理屈を知っている人でさえ、自分のやったことを素直に認められなかったり、理屈に照らし合わせて考えられなかったり、気づかないことが多々あります。
知らない人であればなおさらで、ひどい時には誰かのせいにして憎んだり、呪ったり、大変です。
嫌なことや困ったことがあれば、誰かに助けてもらおうとするでしょうし、ときに誰かに押し付けて逃げようともします。
キチンと向き合って解決しようとする人もいるでしょう。
それは人それぞれです。
理屈や道理に照らし合わせて考えられるように、これまで猶予を与えられてきましたが、これからは実践の中で学んだり確認する機会のほうが、圧倒的に増えていくことでしょう。
◎方向性をだすことで気づくこと
先日ある方とお話をしたときのことです。
その方は、とある問題を抱えていたのですが、それがご自身の歪んだエゴがあぶりだされて生じている問題であることに気づいていませんでした。
そして、多少疑いながらも自分が正しいと信じて、エゴの思惑通りに実体のないものに責任転嫁しようとしたりしていました。
実際の場面で自分のエゴがどのように活動するのか知らないうちは、チェックしようにも、まず気づくことすらできません。
エゴの特性をふまえ、起きたことや感じたこと一つ一つ解説していくと、損得勘定でエゴが得だと信じることをやろうとしていることがみえてきます。
それなりに精神世界の知識があっても、実際に役立てられるところまでいたっていなければ、方向性に合わない誤った判断で、自分で問題を大きくして生きづらくしてしまうこともあります。
方向性を明確にすればするほど、指導する存在たちも指導がしやすくなります。
今回は方向性を出し始めたばかりの方のケースでした。
方向性を出していなければ、誰かやなにかのせいにして終わってしまい、気づくこともなかった話です。
自分をよくしていこうという方向性のもと、その方がかすかでも自分の違和感に気づいていたため、機会を逃すことなく自分を高めるところまで転換できました。
その際、言葉を大事に扱うことも、少し気づいていただけたようでした。
その時のお話の詳細は書きませんが、エゴがたくみにしゃしゃり出てくる様子や、見守る存在たちがそれを使ってその方を導こうとする様は、インスピレーションを受け取りながら解説していて、見事なものだなと感心さえしてしまいました。
うぬぼれがちな人は、「覚醒していなければ、なにかまだ問題を抱えて生きている」と思えばいいでしょう。
自分のことをまともにできてないのに、これから身の回りで、不安や怒りや後悔などで自分を見失うような方が出てきたときになんとかしよう、そう思っているのであれば、そうしたうぬぼれは早めになんとかしておくことです。
同情に引きずられる人というのは、そういう人です。
◎余談
昨日ブログを書き終えたあと、周りの雰囲気が急に軽くなりました。
確認してみると、コロナウイルスの日本への影響は、中国で実際に起きているほどにはならずに済むよう、限られた特定の範囲ではあるものの変わり始めたことがあるそうです。
全体が均一にそうなったわけではなく、ムラがある、といった方がしっくりきます。
なぜ今回そういうことが起きたかというと、
「ある一定数の人たちに意識の変化が起きたから」
という答えでした。
実際どういう形でそうなるのかはわかりませんが、このまま全体に波及して軽くなるとすれば、重症化する人や亡くなる人数の率で違いがでるようです。
特定の範囲とそれに関わるところでは、難が減ったというよりも、違う形に転換できたということになります。
そのことで現象化することが多少はソフトにはなるそうですが、大変な人は変わらず大変です。
「騒然とすることは変わらず起きる」
「これからしばらくせめぎ合いが続く」
とも言われています。