11月までの3か月について 後編

◎コントロールしきれなくなってきている

 

すでにこれまでも、断片的にあふれて現象化してきたものはありましたが、それは先送りにする調整のためにコントロールして小出しに行われていたものです。

 

しかし、これからは状況がこれまでとはさらに変わっていきます

 

時空間を歪めるほどひずみをつくりすぎたため、これ以上先延ばしにできないところまできています。

 

限界を超えてあふれてくるものはこれ以上止めきれないですし、コントロールしきれません

 

どれくらいの量があふれ出すのかわからない、そんなことはこれまで一度もなかったことなのです。

 

ですから、これからどうなっていくのか、あちらからも判断がつかないことがあるのです。

 

今回は、リターンで現象化するものを少しでもコントロールできるようなんとかそれを可能にするための3か月であり、少しでもコントロールできるようにするための道筋を構築することが目的でした。

 

そのため、台風や大雨といったことが現象化し、11月には一定のコントロールが可能となったため、一定の仕上げとして「地ならし」と表現される時期を迎え、静かに過ごすことができたのだそうです。

 

それでも、それは本格的な溢流の前だからコントロールできているだけです。

 

すでに危険水域には達しているので、あふれ始めてみないと、なにがどうなっていくのかはわかりません。

 

 

 

◎12月以降の混沌とは

 

歪みの解消にフォーカスしてお話を書いていますが、徳として返ってくるものも増えているようです。

 

長年地道にやってきたことがここにきて報われる、そんなケースも出始めているようです。

 

考えなしにやってきたことは、いくら地道にやってきたといっても考えなしにやってきたなりの結果しかでないので、誤解のないようにお願いします。

 

12月以降についていわれた「混沌」とは、業も徳も入り乱れて返ってくるため、そういう表現になるのだそうです。

 

良いも悪いもない、ただやってきたことが返ってきただけ、と思えるようになっていくことで、二元性を越える考え方を身に着ける機会としていかすことができる、そう考えることもできるでしょう。

 

 

 

◎自分は特別

 

台風15号のときだったでしょうか、私に対しても特別扱いはしない、そう言われたと書きました。

 

当たり前の話ですが、私に対して特別視している方がおそらくいるので、あえて言われたようですし、あえて私も書きました。

 

これは、誰かを特別扱いしない、みなに等しく負荷をかけていく、という宣言でもあります。

 

たいして自分をよくする取り組みもしないまま、「私は軽く済む」とか、「お祈りしているから被害にあわない」、「お守りやお札があるから大丈夫」「こういうワークに参加していれば安全だ」など、そうした気持ちでアセンションだとか統合のワークだ、とやっている方もいそうなので、勘違いしている方が非常に多いのではないかと思えてきます。

 

一生懸命取り組むことはいいのですが、それが本当に自らを救うことになるのか、よく考えてみたほうがいいと思います。

 

私たちは対等公平な存在ですから、全体で積み重ねてきたものは、全体で受け止めるべく、負荷はまずそれぞれに等しくかけられていきます

 

「自分(たち)は特別枠にあるから負荷をかけられない」、というわけのわからない期待はしないほうがいいでしょう。

 

確かに、徳を積んでいれば相殺されることもあるでしょうが、自分はどれだけカルマを積み、徳を積んでいるのか、通常わかるものではありません。

 

「意識レベルを上げる取り組みをきちんとしてきていれば、負荷をかけられても自分でなんとかできるよね。」

 

「それで残ったら、『残れたね』と言うよ」

 

というのが、あちらの私達に対する基本スタンスだと私は考えています。

 

この期に及んで大した根拠もないのに、「自分だけは大丈夫」という甘い考えで足元をすくわれそうな方がまだこれから出てきそうなので、いまのうちに改めて書いておきます。