◎神さまに対しての思い込み
ひろかねさんのお話を聞いていると、大本教などにでてくる「三千世界の立替え立て直し」のなかに、私たちの「神さまに対する特別視」をとることが含まれているのではないか、と思うことがこれまでにありました。
「神さまがいうことは間違いない」「神さまは完ぺきだ」、そう思いこんでいる方がいかに多いことか。
ある時期までは目指す方向の指針としていくのはいいと思いますが、依存になってそのままいけば、自立しないでどこかで成長は頭打ちになってしまい、そこから先に進んでいかないのではないか、そう思えてきます。
見えない世界の存在からの言葉を受け取るだけで、それを絶対的に正しい内容と信じ込んでしまう人はもちろん、言われたことだからそのまま伝えなきゃ、と誠実に伝えようとする人も数多くいます。
私の場合は、過去、考えなしに馬鹿正直にやっていた面もありますが、ひろかねさんからお話を聞くにつれ、考え方が大きく変わっていきました。
◎レベルに応じた視点の違い
この世界でやったことの責任は、やったその人にあります。
神さまに言われたことでも、あとで「こんなことになるとは思わなかった」といったところで、責任をとるのはそれを「やった自分」なのです。
神さまを美化して信じ込んでいる方には受け入れがたいことかもしれませんが、神さまはウソをつくことがあります。
悪魔のように負荷をかけることもあります。
誤解がないように気を付けて考えてほしいのですが、それらは神さまたちが考え足りなくてやっているわけではありません。
なかにはそういう段階の神さまもいるようですが、そういうことをしてまでも、どこまで神さまの御用で使えるのか、何度も試し続けることがあるのです。
とことんまで試されたり上記のような負荷をかけられることで、途中でくじけたり、歪んだりすると、使いものにならないという判断を下されて、静かに神さまは離れていくこともあるのです。
私たちエゴの視野や視点で理解できたり納得するやり方をするとは限らない、ということを考えないまま、無防備に見えない世界の存在たちを信じすぎている現状もまた、グダグダにはまり込んでいるこの世界の末期症状の一端だと考えるようになってきました。
◎神さまに対する特別視に気づけるか
私がそうだったのですが、例え上位の意識体だとしても、この有の世界の存在である以上完ぺきではない、ということも、多くの方は考えようとしないのではないのでしょうか。
私達よりはるかにマシな判断をしたとしても、完ぺきではないので、レベルに応じて間違いもするし、判断を誤ることもあります。
いまの私たちでは気づけそうもないような、かすかで微細な歪みがどこかに隠れているのです。
だから、一方的な指導する立場ではなく、「私達も学ぶ立場にある」という言い方をするのです。
そのことがわかれば、誰が言っているかではなく、何を言っているか、で判断することの今が少しはわかるのではないでしょうか。
「全託」に対する考え方も変わってくるはずです。
こうしたことがわからなければ、神さまに対しての特別視が幅をきかせているため、そこを利用されて、得体のしれない存在に有名な神さまの名前を出されただけで、コロッと掌でころがされるようなことにもなってしまいます。
私たちがこれまで勝手に都合よく思い描いてきたものに対して、一度目を向けて考えてみるといいでしょう。
「神さまへの依存」、「そこからの脱却」。
これがテーマとなっている方たちは、これからの世の中の混乱の中で、そのことに気づいていくのではないかと思っています。