相手のことも考える
私たちは、価値観や考え方、感受性に好みに趣味嗜好など、個性が違う者同士の集まりです。
そうした違いがある者同士で、互いに理解しあおうとか、仲良くしようとか、交渉して折り合いの付く条件を考えよう、などの目的を果たそうとすると、自分の価値基準を一方的に押し付けてもまずうまくいかないので、相手の価値基準に合わせてものを考えることもするようになっていきます。
自分の意思表示もしながら相手のことやその他の状況など考え、総合的に判断することで、お互いに納得いく答えをだしやすくなります。
自分のアホさに気づくこと
以前の私はそうしたことを考えず、
「(例え一方的であっても)正しいことを言えば伝わるに違いない」
というバカな考え方で話をしていたことがありました。
間違ったことを信じることだってざらにあるのですから、それが成り立つ根拠などないはずなのに、勝手にそう思い込んでいたのです。
そもそも、自分が正しく物事を考えられていると思い込んでいたこと自体おかしな話なので、自分で自分のことを笑ってしまいます。
気づきとは、自分のアホさに気づくことだそうで、いまもその繰り返しでよく笑っています。
自分と考え方が違うからといって、憮然とした態度をとったり、腹を立てたりしても、不満はたまるでしょうが解決はしません。
同じような考え方のところもあれば、違うところもある、というのが実際のところです。
それらを、コミュニケーションをとりながら確認していくのです。
総合的な判断
賢いつもりで、実際はたいして物事がわかりもしないのが私達です。
そこで損得勘定したとしても、うまくいくこともありますが、結果につながることばかりではありません。
目先の損得で賢く立ち回っていたつもりでも、自分にウソをついていたことで、不満をためてかえって損をしていた、ということもあるのです。
宇宙の進化が停滞気味であることや、ほとんど成長することなく一生を終える人が大半である、ということを踏まえて考えてみると、かなりのケースでそういうことが起きているのではないかと思います。
次回
次回の更新で、このシリーズも一区切りにできると思います。
次回は、明日を予定しています。