神さまに対する思い込みについて

現状維持は大問題

 

以前神さまから聞いた話で、今回大改革を行うにあたってひとつ問題となっていたのが、

 

「現状維持に固執して、進化の方向性に進まなくなりかけている」

 

ということが、挙げられていました。

 

「アセンションもディセンションもどちらでもOK、でも、現状維持が一番まずい」とまでいわれていました。

 

なぜまずいかと言えば、変化というこの宇宙の本質から外れてしまうからでしょう。

 

 

 

エゴの特性を活かして解決していく

 

その問題をクリアして気分よく新たな時代に進んでいくには、「よりよく生きる」ということを、エゴの特性を活かして習慣化したり癖にすることです。

 

ここでの問題をクリアするというのは、現状維持にはまりこむようなことを繰り返さないようにしていく、という意味でもあります。

 

いい時もわるい時も、常に「よりよく」生きることです。

 

いきなりみんながそうなることは大変ですので、気づいた人から、できるところから、少しずつでもいいので取り組んで変えていくことです。

 

少し考えればわかることですが、これは神さまの計画がどうとか、時代や地域や人種や性別など関係なく、いつでもどこでも自分が幸せに生きていくために必要なことであり、やる気さえあれば誰でもできることなのです。

 

ですから、「よりよく生きる」というのは、私たちが宇宙の進化の中で存在して生きることにおける本質的なこと、そのことを表している言葉だと考えています。

 

 

 

私の一つの役割として

 

最近、私がブログを書いたりお話しをしていて感じていることがあります。

 

ひろかねさんから全肯定を教えてもらったこと、今の時期に人に教えられる環境にあること、こうしたことからいまの私だから伝えられることはこれかな、と感じることです。

 

それは、あちらが意図している私の役割の一つなのかもしれませんが、神さまへの特別視に気づかせることや、神さまからの自立を促すこと、です。

 

前回更新したお祈りに関してのブログを読んでいただければ、そのことがなんとなくわかっていただけるかもしれません。

 

神さまの光に包まれて、「すべてをささげます!」という人のほうが、あちらの都合で動かしやすいこともあるので、こうしたことを伝えていくことは、神さまたちにとって都合が悪いこともでてくるのではないかと思います。

 

しかし、私を通してメッセージを伝えるときに、特別視をとるようなことや依存に気づかせるような内容が出てくることが増えているため、あちらの世界の状況も変わってきたのかもしれません。

 

現状維持にとどまってしまうことの一つの原因は、依存したり責任転嫁することで自分をよくすることをしなくなり、自分を生きなくなっていることです。

 

中でも、お祈りのことを思い出して考えていただくとわかると思いますが、神さまへの特別視と依存は、現状維持に対してけっこう大きな影響を与えているのではないでしょうか。

 

ですから、全体にとっても自分にとっても、どこかの段階で神さまに対する思い込みに向き合うことで、現状維持を抜け出て進化の道筋に入り、同じことを繰り返さないために必要なことだと思っています。

 

そうした機会の一つとして、前回のブログを書きました。

 

 

 

これまで繰り返してきたこと

 

私たちは、「対等公平」という言葉は知っていても、「存在するものはすべてつながっている」とわかった風に話しても、「因果応報が真理だ」と聞いても、「神さま」に対する自身の思い込みにはまず気づくことはないでしょう。

 

意識して気づこうとしていかないと、「神さまだってわからないことがある」、「できないこともある」、「私たちに比べたら物は分かっているし見えているだろうけど、可能性はわずかであっても、判断がつかなくて失敗することだってある」、そういうことを考えられないし思いつくこともないのです。

 

 

 

他の誰かではありません

 

様々な思い込みを抱えて生きているのが、いまの私たちです。

 

思い込みで見ているから、間違ったものの見方や判断をして、悩みます。

 

私たちは、悩まなくていいところで悩んでいるのです。

 

思い込みに気づいて考え方を変えれば、悩まなくなりますよね。

 

普通のことをやればいいだけなのに、やってないから苦しいのです。

 

それだけのことなのです。

 

私たちは、気づけば変えられます。

 

エゴの特性は、同じことを繰り返すことです。

 

ですから、考えなしに普通に生きていたら、なにも変わっていくことはありません。

 

だから、自分を変えていこう、よくしていこうと思ったなら、そこには「変えよう」という意思が必要なのです。

 

その意思は、他の誰のものでもない、自分の意思なのです。