苦難と幸い

満足してあぐらをかいている

 

5月7日におりてきたインスピレーションを載せておきます。

 

以前、「ベストを尽くしましょう」という感じで、ブログを書き続けていた時期がありました。

 

最近はそうした書き方はしていませんが、それはいまなお続いています。

 

試されているのか、見定められているのか、気まぐれなのか。

 

それでもあきらめずに取り組み続けることができているか、私たちはずっと見られています。

 

だれがどう見ていても、自分が納得していればいいだけです。

 

ただ、なにもしなければそのままです。

 

この世界で成長してあちらに帰っていくことは、かなり稀なことだそうです。

 

それはどういうことかといえば、自分ではそれなりにやったつもりでも、エゴの判断する「やった」の大半は、結果の伴う判断になっていないということです。

 

私たちは、ほとんどなにもしないで、やったつもりでやれていないまま、それを延々繰り返しています。

 

チャクラが開くような体験は、ある一定の成長を果たした証です。

 

しかし、その後も迷いながら生きていくのであれば、また落ちていく可能性も残っているということです。

 

最終ゴールに到達するまでは、その繰り返しなのです。

 

「いま幸せ」といえることはいいのですが、『まだ先があるよ』ということも、覚えておいてください。

 

 

 

5月7日のメッセージ

 

太陽の影響が大地に及ぶ時


一つのけじめがつけられることになる

 

 

 

誰もが自らを美化し

 

褒め称え

 

賛美し

 

未来永劫続く地上天国に住むにふさわしい存在であることを

 

心の奥底では信じてやまないのだ

 

 

しかし

 

それは可能性として示されたものではあるが

 

実際はまったく意味をなさない幻想にすぎない

 

 

やるべきことをやるものが

 

因果律に導かれ

 

自らを導き

 

その地に立つ

 

 

いま志をもって苦難にあるものは

 

やるべきことをやり

 

なすべきことをなしているからこそ

 

苦難と思えることが

 

その身に起きている

 

 

苦難を乗り越えようと

 

今ある中で自らの幸せのために懸命に生きるものには

 

自らの導きに応じた結果が訪れる

 

 

そして

 

その結果を納得して受け入れることができたとき

 

苦難ではなく

 

それが幸いであることに気づくのだ

 

 

余談

 

余談です

 

昨日、ひろかねさんと話をしていた際に、新たな神さまが現れました。

 

いまあちらの世界では、行き詰まっているところがあちこちあるそうです。

 

膠着状態を打開するために要請があり、その神さまは仏陀と同じ「違う世界」からヘルプで来たのだそうです。

 

そういう神さまが複数名いて、現状を踏まえて今後どうしていくのかなど、あちらで話しあっているようでした。