Tさんの体験の一端
先日からTさんのことを話題にあげていますが、そのころ彼から届いたメールの内容に書かれていたことについて、少し書いておきます。
彼が体験していることの中で、彼と指導する存在とのやりとりがありました。
コミュニケーションについても書きましたが、意思表示をしてコミュニケーションをとれるかどうかということは、指導する存在とのやり取りの中でも非常に重要なことです。
提案と回答
今回送っていただいたメールの内容のなかで、Tさんに対してあちらからいくつか提案がなされていました。
そのうちの一つについて、
「それを受け入れることで、因果応報がスムーズに返ってきやすくなる」
しかし
「過酷にはなる」
ということが伝えられていました。
それに対して彼は、よくわからないものを信じて受け入れていくことについて疑問を感じ、自分の幸せを一番に考え、全肯定の道を歩みたいという結論が出たため、その提案を保留にしました。
自分に都合よくうけとる
やっていることはコミュニケーションであり、交渉です。
しかし、見えない存在と神に対する特別視や勝手な思い込み、そうしたものがあると交渉にはならず、安易にいわれるがまま受け入れてしまうことがほとんどではないでしょうか。
「こちらの思い込みにつけ込む」ではありませんが、相手がそうは言っていなくても、こちらが勝手な拡大解釈や決めつけなどで、一方的にそうであるかのように思い込んでしまうこともあります。
自分の都合のいいように勝手に解釈してしまうのです。
以前こちらにコメントを書いてくれたりゅうちゃんが、そのわかりやすい例ですね。
例えば、おだてて持ち上げられて、その気になる場合もあれば、厳しく強く迫られて考えられないようにされてから、いうことを聞いてしまうような場合もあります。
おためし
「これをやったらどう反応するかな?」
「ここまでやったらあきらめるかな?」
そんなことを確認しながら、あちらはその人のことをみていることがあります。
それをされたときに、私たちはどこまでそれに気づけるでしょうか。
その実地試験を、Tさんは今回のやり取りの中で行われており、そうしたやり取りが何度かあったようで、それらをメールで教えてくださっていました。
今回のやりとりは、あちらが提案して確認をとってやってくれていることですので、それに対してどんな返事をしても、自分が決めたことということがはっきりしています。
(彼に対しては、肉体改造が始まる直前のご来院時に、指導する存在に対する特別視を減らすお話しを実体験していただきながらお話しできていました。)