久しぶりの覚醒体験

 

久しぶりに覚醒体験をしたのですが、あとで感覚がもどってから書き残したものなので、わかりづらいところもあるかもしれませんが、記録としてメモ代わりに書き残しておきます。

 

 

 

2018.12.21(金)の体験

 

今日、仕事でバイクを運転していたところ、久しぶりにチャクラが少し開いていたのではないか、ということがありました。

 

気が付いたら全体性を感じながら運転していた、というものです。

 

それまでは、因果応報で自分のやったことがすべて返ってくるということを考えていて、「どこにいってもどうあっても、すべて自分のやったこと」、と考えていたところ、「すべては繋がりを通して返ってくるのであり、それを受け取るのは、いまここである」そんな感じで考えていたと思います。

 

すると、その繋がりが感覚的にわかり、全体の流れの中で自分がその一部としてあることを感じるようになりました。

 

循環するエネルギーとして、自分のやったことが全体をめぐって返ってくることがわかるため、いらいらしながらやったことはいらいらした感覚を保ったまま自分に返ってくるし、滑らかに発したことは滑らかな感覚をもって返ってくるため、自然と丁寧に静かにエネルギーを発することを心掛けるようになっていました。

 

(あとでひろかねさんに話をすると、「だから一言一言、注意して話さなくてはいけないんだよ」と話してくれました。)

 

その流れの先にある、途中のあちこちの箇所には、多種多様な歪んだものも多くあり、それらに対して歪みを解消しようという意識が働きます。

 

しかし、その意識のままだと歪みに対して否定的な感覚が出てくるため、「あっていい」という一言で見続けたところ、全体の調和が保たれるような感じになりました。

 

いまはあの時の感覚とは違うためうまく言えませんが、とにかくあらゆる存在が全体性を認識できる状態では対等公平に存在しており、繋がっていることがわかります。

 

上位意識という言い方も、ともするとその対等公平感を損なう感じが出そうな感覚はありましたが、上位下位というものを存在の価値ではなく、ただの全体の役割としての位置関係としてとらえることで、損なう感じは無くなりました。

 

その後しばらくして、患者さんのお宅に到着したため、施術の際にもその全体性の感覚を保ちながら施術をしたところ、手の当て方や力加減が流れを見ながらだとわかりやすく、結果もいつも以上に納得のいくものとなりました。

 

また、以前覚醒体験をした時に、ある患者さんの愚痴を聞いていたところ、シューッと風船がしぼむようにもとに戻ってしまったことがありましたが、この患者さんが今日も行くことになっていました。

 

その患者さんへの施術が始まると、いつも以上に過去の戦争体験や世の中の事の愚痴を言い続けられたので、またしぼむのかと思ったのですが、今回は全体性の流れの中に流してみることにしました。

 

多少影響を受けて揺らぐこともありましたが、やはりというか、落ち着いて流せるようになったのは、「好きで言っていることだから」と自由を認める気持ちで聞くようにしたところ、今回はしぼむことはありませんでした。

 

その後、昼食をとったりなんだかんだしていると、徐々に感覚は薄まっていき、いまはいつもの状態にもどっています。

 

どのタイミングだったか忘れましたが、これはなんだろうと考えていた時に、「あ、全体性だ」と気づくと、「合格」といわれたため、抜き打ちテストだったのかもしれません。

 

否定や歪みの感覚などが、理屈に照らし合わせて考え方を変えていくことで、流れの変化を通して減ったり薄くなっていくことが分かったため、非常に面白い体験でした。