節目となるのか
先週末のことです。
「あと数日もすれば状況は一変していく」
という言葉がありました。
大事な時期に入ったことは折に触れて感じてきましたが、もしかしたら、ひとつの節目をここにきて迎えることになるのかもしれません。
「静かに見ているといい」
という感じも伝わってくるので、もしその通りであれば、これまでの学びの実践の場としながら、目の前のことに向き合っていくことになるのではないでしょうか。
なにがどう変わっていくのかわかりませんので、いまは静かに見ていようと思います。
現状
これ以上の情報が今はないので、実際にどういう展開になっていくのかわかりません。
私たちを取り巻く自然環境に関して目につく情報をいくつかあげると、台風の発生数が例年よりはるかに多く、アラスカから硫黄島周辺に東南アジアからフィジー諸島などの環太平洋一帯での地震もここにきて活発化していますし、欧米では森林火災がかなりの規模で発生しているようです。
そのほか、世界各地で起きている数多の災害がありますし、私たちでは理解や感知できないような太陽や宇宙からの影響もあるでしょう。
今現在、地域差はあるものの、全体としては穏やかとはいえません。
今後、いま起きていることの影響の上にさらなる災害など積み重なっていくのならば、今以上に大変な環境の中で生きていかなくてはいけないのです。
結果は繋がりを通してやってくる
私たちが暮らすこの地球は、一つの大きな自然環境です。
その自然環境は、繋がりを通して循環しながら機能しています。
遠く離れた各地で発生している災害であっても、規模や頻度に状況によっては、この先の私たちになんの影響も及ぼさないはずがありません。
いつかなにか起こる、そう思わせる要素が月日の経過とともに増えているようです。
局所であっても、同時多発的に各地で一斉に災害が起これば、ある程度保たれていたものも、保てなくなっていくことでしょう。
自然環境だけでなく、身の回りの人と人とのつながり、経済の流通、いろいろな繋がりがあります。
その繋がりを通して、私たちは自分のやってきたことを知ることになります。
しかし、「結果が出てからでは遅すぎる」ということは、結果が出るまでは多少なりともできることがあるはずです。
最後まで自らの可能性をあきらめないことは、今後の自らの運命につよい影響があります。
そういえば、過去に「あきらめないから神様でいられるんだよ」という言葉を受け取ったことがありました。
宗教などでは、人は神の子であり神の分霊である、といわれることがあります。
自分が何者なのか、自らをあきらめなかった者だけが、そのことを結果を通して知ることになるのでしょう。