魂に刻み込む ③

なぜ負荷をかけられるのか

 

これから自然災害や経済の混乱、飢饉に病気に環境の激しい変化など、私たち一人一人に様々な負荷がかけられる可能性があるといわれています。

 

そうした負荷を、なぜかけられるのか。

 

たしかに、カルマとしてやったことが返ってくるのですが、その負荷に対して、方向性を出してあきらめずにやり切った魂には、一つの経験が刻まれます。

 

「よりよく生きる」という生き方が、アセンションした先でこの宇宙全体の方向性と同じ方向性が、刻み込まれる機会となるからなのです。

 

 

 

その後、どう過ごしてきたでしょうか

 

「『はじめ』に来たら合格」という時期がありました。

 

あれは、ある時点での合格です。

 

まずは気づけたね、というレベルです。

 

そこはスタート地点であり、そこからどういう方向性を出してきたかで、その合格の意味は変わってきます。

 

「はじめ」で学んだ「よりよく生きる」全肯定の考え方を、どこまで実生活で取り組むことができたか、あきらめないで納得いくところまでやってきたか、きちんと自分に刻み込めたか、それがこれから問われていくのです。

 

 

 

自分なりのがんばり

 

痛い目にあえば逃げたくなるのが人の性であり、そういう目に合って初めて考える人が多い中、これまで与えられた猶予期間をはき違えて、のんびり優雅に過ごした方もいるでしょう。

 

やることをやらないで過ごしてきたのであれば、今後はあの合格を生かせないまま負荷の伴う実生活の中で、負荷に耐えながら方向性を出せるよう何とかしていかなくてはいけないのかもしれません。

 

自分なりに自分のペースでやってきた人もいるでしょう。

 

それはそれでいいと思うのですが、自分なり、自分のペース、それが最終的に自分が納得できる結果に繋がらない「エゴの都合」でしかなかったとしたら、どうでしょうか。

 

あとで後悔にならないか、いまの自分の取り組み方を折に触れて考えてみるといいでしょう。

 

不完全であることを認めているつもりで認めていない人たちは、自分の頑張りが100%だと思い込んでしまいがちです。

 

しかし、そこまでやってもせいぜい60%程度だったり、非の打ち所がないくらいやったと思ったとしても70~80%くらい、というのが私たちエゴなのです。

 

 

 

ある日突然

 

世界中の自然災害などを見まわしてみると天変地異の様相を呈してきているため、大変なことになってきたことがわかりますが、こと日本においては、まだまだ話にならないくらい穏やかなものです。

 

ある日突然すべてが様変わりする、そういう展開もあるかもしれません。

 

自分がどこを目指して方向性をだしているか、実際にどこまで取り組んでいるか、そのままで後悔ないのか、ブログを読んだこの機会をいかして考えてみてはいかがでしょうか。