役割が終わっている、とは
それぞれの立ち位置について書くと、宇宙全史というワークの中では、虚空蔵55さんは主に預言者という立場でした。
明確に指導できるようになるのは、完全覚醒を果たした先で計画されていたことですが、その可能性もいまでは昔の話です。
一方、当時の私は、講師という立場を月読の大神からの指示で与えられていました。
その後の講師はく奪ということについて、月読の大神は
「私は指示していない」
とおっしゃっています。
あれは、越権行為として虚空蔵さんのエゴの独断でやったことです。
また、最近改めて、
「宇宙全史の講師という立場で書いていきなさい」
というメッセージを受け取っています。
果たせなくなってしまった
虚空蔵さんはひろかねさんとの一連のやり取りの中で、真理を曲げて計画を邪魔し、みずから大きなカルマを積みました。
そしていまでは、捻じ曲げられた愛の概念に沿って、人々を導こうとしています。
「最近のBBSは、なんだかきもちわるい」という方が何人かいらしたのですが、他にも気づいている方がいるかもしれません。
最近のBBSの更新を見ていると、鵜呑みにするものを信者にしてすがらせ、それが宇宙全史で学ぶ人の取り組みの見本であるかのようにして、ディセンションに引き込む流れを作っているのです。
いまではBBSの取り組みは、月読の大神たちの全体の計画で目指す方向性とは異なっています。
大きなカルマは積むし、差し伸べる手は払いのけるし、役割として皆が進むべき方向を指し示すことも間違った方向に導いてしまっている。
それでは、宇宙神とのやり取りをするような預言者の仕事も審神者も務まりません。
それでは役割を果たせるはずがありません。
役割はもう終わったのです。
引き継ぎ
残り時間も限られてその時は差し迫ってきていますが、講師としてのみならず、今後預言者としての立場を引き継ぐことを、私は今回、月読の大神から正式に仰せつかっています。
これからのことがなにかわかれば、必要に応じて随時伝えていきます。
信じられない方は、信じられるところで確認してみてください。
BBSで聞くのもいいでしょう。
ただし、その回答を信じることができるのであれば、ですが。
「愛の概念が捻じ曲げられた」
「正すこと」
ということを、以前BBSでは自らに与えられた役割として書いていました。
しかし、それを果たせなくなったいま、私にその役割も引き継がれています。
このことは、一昨日と昨日いらした方は、私と話してわかると思います。
神々の見解
「(虚空蔵さんが)道を誤ることは、可能性として織り込み済み」
「それを信じてついていく者たちも、ある程度でてくることは仕方ない」
「この期に及んで気づけない者たちについては、数の問題ではない」
「(彼らに対しては)一人でも多く救おうということは、もうしない」
「自由があるので、そちらを選ぶならそれでよしとしている」
「好きで落ちていくのだから、それはそれで幸せなこと」
「止める理由もない」
こういうやり取りも、少し前に確認しています。
そのため、ひろかねさんの言葉を引用して「結果が出てからでは遅すぎる」ということをブログには載せていました。
いい加減、態度をはっきりさせろよ
今回のブログは、判断がつかず遠巻きに見ている人たちに対して、最後の働きかけです。
なにかあってから慌てて取り組んでも、おそらく決断力がない分、間に合わないでしょう。
いまさらなぜ私が講師の立場で書くことになったかといえば、時間がない中での最後通告を、月読の大神たち神々の計画の本流はこちらにあるのだと優柔不断な取り巻き達に対して伝えるためです。
彼らには、まだ若干の猶予が残されていたのです。
いまこここに至り「決められない」というのであれば、それは単に自分で責任を取りたくないからであり、それでは自分が無いでしょう。
『20年後・・・』の本に書かれていた、真っ先にこの世界から消えていく人たちとは、他でもないあなたたちです。
「そんな奴らはいらない」という言葉も伝わってきますが、身をもって知るころには、手遅れかもしれません。
今回なにが大変かといえば、死んでもやり直しがきかないことです。
ディセンションした先では、上がることを許されない蓋をされた地獄の中で転生し続け、救われる望みなど皆無とも思える世界で、地獄以上の世界をさらに構築していくか、もっと受け入れがたい、いまだかつてこの宇宙で経験したことのないような展開に身を任せるしかない可能性もあるのです。
嫌と言い続けても、ほぼ永遠に負荷をかけ続けられる世界がそこには待っています。
考え方を変えて前向きに取り組めるようなものは、そこでは負荷とはいいません。
心底嫌なものだからこそ、負荷とよぶのです。
それをどこにいても、死のうが生きようが、かけ続けられる世界です。
なにを選ぶかは、まだ自分で決めることができます。
ほかならぬ自分の運命についてです。
よく考えて下さい。
この文章の掲載も、一つの節目となっていくように感じています。