タイトルの意味は後半のお楽しみ
異常気象ではなく気候変動とよばれる環境の中で、過酷な自然災害が日常的に起きるのであれば、(すでにそうなっていますが)まずは体力のない人たちから負荷のかかり方が増していきます。
なにかあるときは、まず弱い立場の人たちから、ということを覚えておいて下さい。
交通網の寸断や建物をはじめとしたもろもろの復旧が追い付かない中で、作物も十分に育たず、経済も混乱し、体調もままならない状態となっていくと、地獄の蓋が開いたことによるカルマの現象界における噴出も、かなり激しくなるかもしれません。
例えば、こんな感じ
自分を生きている人は自信があり、周りの人から影響を受けることも少ないのですが、自分を生きていない人は、ことあるごとに周りに振り回されます。
仕事で人手が足りなくなれば、体調が悪くても無理して出勤して仕事をしなくてはいけないかもしれません。
家族が倒れたら、それだけで気に病む人もいるでしょう。
ましてや、それが家族の生活を支える稼ぎ頭だったとしたら、どうでしょうか。
景気が悪くなれば仕事が減り、周りの景気も相当悪ければ、憂鬱になるのは、エゴであればごく当たり前の反応です。
ストレスをため込み、否定的な気持ちで毎日を過ごしていれば、病気にもなります。
普段調子がいいときはいい人でふるまえている人でも、中長期にわたって体調が悪かったり気分がすぐれなければ、身近な人に当たり散らしたり、勝手な言い分で迷惑を平然とかけるようになる場合もあります。
人間関係がとても乱れていきます。
それに振り回されるということは、カルマを積む機会が増えるということです。
自律神経も乱れ、精神的にも肉体的にも不安定になれば、大きな病気をしやすくもなります。
ここまで読んで、でも自分は大丈夫、そう思う人がいるかもしれませんが、そういう状況下で実際に経験したことがないのにそう思うのであれば、なぜ大丈夫といえるのでしょうか。
そういうところをチェックしていかなくてはいけません。
どういう考え方で目の前のことと向き合っていけるのか。
そういう環境でやり切ってきた人は、言葉に力があります。
これからの時代を生きていく知恵を、ひろかねさんは教えてくれています。
猶予が与えられたなら
みなさんはどうかわかりませんが、「猶予が与えられている」ということを、私はそれこそ何度も何度も感じてきました。
「神様はそんなに甘くない」という言葉でいうなら、
・言い訳できないくらいチャンスは何度もやっただろう!
・やらなかったのは誰なんだ?
ということになるでしょうし、「そう問われる可能性が自分はある」と、ここを見ている人ほど感じるはずです。
なぜなら、「アセンションするよ」「世の中変わるよ」「エゴを薄くしようね」、最低でもこのあたりの言葉を目にしたり耳にしているのですから。
お待たせしました、ここからです
『地べた這いつくばりながら後悔しても遅いぞ』
と、不意に言葉がいまも入ってきました。
『大してものを考えていない奴らがこの情報を自分に都合よく解釈したところで、何も役に立つことはどうせしないんだから、身の程を知れよ』
『自分の役に立つことがなにか、無い頭で考えろ』
『行動に移さなきゃ、なにも変わらない』
『いい加減うんざりしている』
『やる気があるフリはもう見たくない』
『白黒はっきりつけていく』
『こちら側のスタンスははっきり伝えたぞ』
などと、厳しめの言葉もいま立て続けに下りてきました。
「大げさに言っているだけ」「そこまでのことは起こらないんじゃないか」、そんな風に思うかもしれませんが、結果が出てからでは遅すぎることがあります。
可能性があるなら、よりよい選択肢として、できることを今のうちにできるだけやっておいて損はないはずです。
そうではありませんか?