救世主について思うこと
かつて宇宙全史で学んでいた経緯があるため、関連して読んでくださっている方の中には興味のある方や気になっている方もいると思うので、一度書いておこうと思います。
救世主については、宇宙全史の一巻に書かれていた「救世主はあなた自身です」という言葉がシンプルですが、その通りだと思っています。
また、どこに書かれているか忘れましたが「人類最大の敵はエゴ」という言葉について、エゴが敵かどうかはともかく、向き合うべき対象という意味でエゴを一番最優先に捉えるのであれば、考えるきっかけとしていいのではないでしょうか。
また、キリスト教でしょうか、「天は自ら助くる者を助く」という言葉もそうですが、因果応報という仕組みを元に考えると、どれも納得がいくものです。
情報を知る意味
どういう目的でそういう情報を得るのかは、自由があるので人それぞれでいいと思います。
救世主の情報を知りたい理由を、私たちのエゴがしそうな発想で一つ考えてみると、少しでも早く的確な救世主の情報を得て、自分が助かる可能性を上げておきたい、ということかもしれません。
それで自分が思うようになるのなら、いいと思います。
しかし、冒頭に書いたことが前提であるのなら、誰かに何とかしてもらおうという考え方に対し、違和感を覚える方もいるのではないでしょうか。
そもそも、救世主が世の中を救うとしても、
「はい、世の中を救いました。でもね、あなたを救うかどうかは別のお話なんですよ。」
と言われてしまえば、それまでです。
その情報を知ったからといって、自分が助かる保証はどこにもありません。
救世主がやること
救世主がやることは、それまでの価値観を変えて新たな時代をつくるきっかけ作りです。
人を救うことが一番の目的ではありません。
世の中を変えるというのは、人の考え方を変えるということです。
ですから、考え方を変える働きかけまではするでしょうが、変わる気が無いものを無理に変えることまでは、自由を奪うためしないでしょう。
つまり、周りが変わっても、なにかをあてにするような生き方は新たな時代にそぐわないですし、働きかけに応えられるように自分で自分をなんとかする発想がある程度身についていないことには、救世主の正体や取り組みを知ること自体に大して意味はないのです。
考え方を変えられる人が少なければ、救世になっていかないかもしれません。
私たちにとって「救世主」が意味するもの
では、救世主が世の中を変えるにあたって、どういう方向にシフトしていくのか。
それは、現在の弱肉強食で力がつよいものの都合で好き勝手やることが許されている世の中を、全肯定の正しいものが優先される世界に変えていくことが、上位意識の出している方向性です。
そして、それに基づいて計画の一環で動く存在が、救世主です。
ですから、役割として動く存在は確かにいるでしょうが、私たちにとって救世主が意味するところはそうした役割をもつ誰かではなく、よりよく生きようとする一人一人が大事であり、自分のことは自分でなんとかしようと思えた人たちが自らを救っていく、そういうことなのです。
甘ったれ
誰かに何とかしてもらおうという生き方は、運命の創造主としての自分を否定しているため歪みがつよく、全肯定の新たな世界に必要とはされないでしょう。
流れにのるとかなんとかいうのは、以前のブログで非公開情報9についてふれた時にも、すでに書いておいたはずです。
特別な救世主をあてにしないで、自分のことは自分でなんとかできるよう、自らを救う救世主になることを目指すことが大事です。
そもそも命がけで働く存在ですから、やることをやってない人間を救いたいと思うほど楽観主義者ではないと思います。
「なんだかなぁ」という感じもしたので、今回は書いておきました。
次回も、すこし触れると思います。
← よければ、クリックをお願いします。