実際に言葉にできるのか
ひろかねさんが実存を見たときは、理性がついていかないことがわかり、判断することをやめたそうです。
それでも、それをあえて表現した言葉が、「存在するものが全部ある」でした。
言葉は不完全なので言葉が足りなくても仕方ないし、同じ言葉でも時と場合によって意味も変わるので、臨機応変に考えればいいということは教わっていました。
しかし、自分がいざそういう場面になると、「理解できていない」ことが、圧倒されて黙ってしまうことでわかります。
自身の取り組みが露呈する
思い返すと、私が初めて月読の大神を感じた時もそうで、月読の大神を感じたまま表現しようとしても、「間違えてはいけない」という思いこみもあって、私が言葉にする分だけ歪みしか生まない、そう感じていました。
実際の場面で、自分のそうした課題が露呈するまで分からないことは、たくさんあります。
しかし、気づいたところから修正がかけられるため、知識として知っていることで、気づいたその瞬間に改めたり、理解できることもあります。
それができるのも、日頃の取り組みの結果です。
できなければ、気づけたときに変えていきます。
言葉を丁寧に
あきらめない、変われる、といった言葉一つ取っても、それを真剣にどこまで読み込もうとしているかで、気づく際の理解度は格段に変わります。
私も言葉をおろそかにしてしまうことがありますが、ブログに書いてきたことを丁寧に理解していただき、実際の場面で一つでも活かせるようにしていただけたらと思っています。
←言葉で表せなくても、行動で示せることもあります。
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