やろうとしていること
生きることに真剣になると、目先の損得を働かせない考え方になっていきます。
損得を働かせる、というのは、どちらかを選ぶということで、二元性の働きです。
それを働かせないで後悔のない生き方を選ぶ時、二元性を越えることをしています。
どちらかだけだと片手落ち
私たちが思い込みでものをみるとき、「損しないように」、「得するように」、という考え方をしています。
しかし、このどちらか「だけ」を見て考えていると、もう片方を無視したり否定しているため、全肯定でものを考えられていません。
両方みてトータルでものを考え、自分が出した方向性にあった後悔しない決断をすること、最善をもとめること。
全肯定は、二元性を越えていく考え方なのです。
言葉で表すことは可能
二元性を越えた実存レベルの世界では、私たちの理性では判断できないこともあるため、言葉で表すことができないように思えます。
しかし、全肯定の考え方が身についていれば、それは可能となります。
可能というのは、完璧に表現できるという意味ではありません。
不完全なりに言葉で表すことができる、という意味です。
私はまだそういう段階に至っていないためできていませんが、ひろかねさんはそれをやりました。
「足りない」ことは「間違い」と=(イコール)ではありません
日常生活での取り組みとして「間違えてもいい」ということを書いてきました。
しかし、私自身いざそうした理性を越えた世界を垣間見せられると、言葉にすることを無意識にためらってしまうことがわかりました。
エゴでは全体を語ることができないため、私の語る言葉が断片しか語れず、間違ったことを言っていると思ってしまうからです。
しかし、エゴを認め、不完全さを認め、間違ったら修正すればいい、足りないなりに表現すればいい、という考え方に修正できた時、その時できるなりの表現をすればいいということを先日知ることができました。
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