自分で判断することについて

伝98

施術を通して

 

自分は命あるものなのだ

 

と気づくための光をいれています

 

 

今生きている

 

そういう自覚がないと

 

地に足つけないで理想ばかりを追い求めてしまう

 

だからまずそこから始めないとね

 

 

大事に

 

真剣に

 

一生けんめい

 

生きようとする

 

 

そうすると初めて

 

どう生きよう

 

と疑問がわいてくるから

 

それを答え合わせするのが人生なんだよ

 

 

     

伝98について

 

昨日、不意に上記の「伝98」という言葉が浮かびました。

 

(※この他の「伝」も、クリックしていただければご確認いただけます)

 

その後、ある方のメールに返信する際に、この方にいま必要な内容であると感じて、そのように書いて送信したのですが、他にも当てはまる方がいるような気がするため、それに関連して浮かんだことを2~3回にわけて書こうと思います。

 

 

 

思うようにいかないこと

 

これまで何度か「自分で考えること」について書いてきましたが、それは自分を生きることや後悔しないためにも大事なことだからです。

 

私自身、このことは今現在も課題と思って取り組む毎日です。

 

こうしてブログを書くことも、その一環です。

 

結果として思うようにいかないことを最近も感じることがありましたが、様々な関係性や影響から、自分が思うような結果はなかなかでるものではないと、改めて思います。

 

 

 

因果応報

 

「思い」「行動」「結果」という因果応報の仕組みで自分の運命を創造する私たちは、一回で「結果」が思うようにならなくても、それを少しでも納得いくものに近づけることで、より幸せになっていくことができます。

 

近づけるというのは、「思い」や「行動」をそれまでよりいいものに変えていくことです。

 

 

 

いいかどうかを判断するために

 

「いいもの」とは、それまでの自分の「思い」「行動」との比較です。

 

それまで自分が実際にそうしたことをやっていると、それまでの自分の取り組みと比較することで、「いい」かどうかの判断がしやすくなります。

 

どれだけ動き回っていたとしても、ただ闇雲に行き当たりばったりでやってきたのでは、ここでいう「行動」にはなりません。

 

なぜなら、方向性をださないちぐはぐな取り組みでは、方向性にあった結果がでることはないからです。

 

また、結果がでない取り組みでは、「正しさ」や「よさ」など比較して確認することもできず、わかるはずもないからです。

 

幸せになるための正しさがわかるようになるには、まず「よりよく生きる」方向性をだすことです。

 

(※「方向性」と「正しさ」の関係性は、ブログ「正しさについて」で書いていますので、そちらもご確認下さい。)

 

 

 

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