特別視について思うこと

特別視について思うこと

 

私自身、ひろかねさんからご指導していただいていますが、2年以上週末を除くほぼ毎日、お電話で12時間お話を聞き続けてようやくここまで話が分かるようになってきました。

 

それでも、課題は折に触れてまだまだ出てくるレベルです。

 

同じことを繰り返し聞いているはずなのに、それでもいまだにわかっていないことや考え足りないことがありますし、特別視は手を変え品を変え、常に隠れていると感じています。

 

 

 

 

なぜEさんのお話を掲載したのか

 

先日掲載したEさんの覚醒体験で、特別視について触れました。

 

なぜEさんのことを掲載したかというと、その体験自体が励みになる方もいるでしょうし、このことをきっかけにみなさんそれぞれに考えていただきたいことがあったからでした。

 

Eさんは、非常に熱心に「はじめ」に通ってお話を聞いてくれた方です。

 

現在は転勤して地方に移られていますが、それまでは他県から1時間ほどかけてほぼ毎週通ってくださり、毎回23時間話を聞いて1年半程学んでくれました。

 

そうした方であっても、いざそういう場面になると特別視がでてきてしまう、そのことを考えていただきたいのです。

 

 

 

 

私がブログを書く理由

 

ひろかねさんのお話は、言葉自体は非常にシンプルでありながら、どこまでも対応できる幅広さや懐の深さを感じます。

 

理解するための取り組み方は様々あるのでしょう。

 

しかし、私の経験を通しての実感として、全肯定を理解するために年に数回程度の施術でのお話では、学ぶ総量として決定的に時間が足りないと思っています。

 

ですので、できるだけ大事な知識に触れる機会を増やす目的で、ブログをこれまで書き続けてきました。

 

今一度、私の過去のブログを読み返し、本当に役立てられるところまで自分が理解できているのか、よく考えてみてください。

 

毎週来てくれていたEさんですら、いざああいう体験をしても特別視に気づけていなかったのですから、大事な場面で自身の取り組みの甘さを実感する方たちが結構いるのでは、と思っています。

 

「はじめのブログ」の備忘録などに大事なことは一通り書いてある、とこれまでもお伝えしてきています。

 

大事だと思えるのであれば、繰り返し読んでください。

 

 

 

 

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